予知夢がこんなに売れる時代、私たちの不安がどれほど根深いかを示していると言える。この『私が見た未来 完全版』の売り上げが示すのは、単なる好奇心ではなく、現代人の恐れと絶望感だ。日本とフィリピン間の海底が破裂して津波が来るというたつき諒の夢、これを信じるかどうかは別として、人々が未来に対する漠然とした不安を抱き、それを解消する賢者を求めること自体は興味深い。
しかし、それによってインバウンドが激減するとは、なんとも皮肉な話ではないか。たつき氏や出版社は人々の不安に取り込んだつもりはないと言うが、予知された未来によってリアルな経済打撃が生じるなんて、もはやエンターテイメントの域を超えてしまっている。
いっそのこと、こうした「予言書」が流行ること自体が、われわれの心理的リアルだと認識してしまったほうが、今の時代に合っているのかもしれない。ノストラダムスの大予言がかつて多くの懐疑を生んだように、この予知夢も未来への恐怖と希望が交錯する場所としての役割を担っている。そして、この本が広く受け入れられる背景には、多くの人々が日々の生活の中で感知している、未来の不確実性に対する病んだ感受性があるのではないか。
ところで、このような予言を信じる時代に、私たちは何を知っていると言えるだろうか。科学か、オカルトか、この矛盾の中でどう生きるべきか。日本社会が外国の観光客を失い、今後どのように回復するのかはわからないが、結局どちらを信じれば未来に対する不安を払拭できるのか。
あなたはどちらの未来を信じますか?
以下のコメントはこの論争を補完するものです:
あの本が出てから予言通りに災害が起きたらと怖がる人も多いですが、私はそれをきっかけに防災意識を高める良い機会だと思っています。ただの夢物語として鵜呑みにするのではなく、日常生活のリスクを再評価するきっかけにするべきでしょう。どうせ予言なんて当たったことがないと言う人も多いですが、それでも備えるという行動は不可欠です。
たつき諒の予知夢が本当なら、それは単なる夢ではなく地球からのメッセージだったと考えるかもしれません。現代社会の不安や異常気象などが増える中で、夢にしか見えない予言が実現しようとしているのか、それともただの小説の一部なのか。次の大地震が来たとき私たちがどう目を背けるのか、それが問われているのかもしれません。
予言に踊らされる人々の現実逃避、その背景を考えれば、たつき氏は自分の見た夢を信じる人々に対して責任を持つべきではないでしょうか。出版界がその責任を負うかという問題もありますが、印税で儲けている背後には不安を抱える人々がいる。その人々の声に真摯に向き合う義務があるでしょう。
無責任な利益追求は、社会を掻き乱す結果を招くだけです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/66ea6cdfcf019e431e60044ce4f5d405a3f92b4d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]