文化庁が「古代日本の『西の都』」の日本遺産認定を取り消したことで、地元では大変な騒ぎになっているようですね。しかしながら、「そもそも認定されていたことすら知らなかった」という声が多いのは何とも皮肉です。
観光資源としての「日本遺産」ですが、その根本にある「物語性」とは一体何なのでしょうか?美しいストーリーがあれば観光客は集まるのでしょうか。実際、多くの観光客は「物語」よりも分かりやすいアトラクションや美しい景色に惹かれて訪れるのではないかと思います。
太宰府市長が「日本遺産そのものの存在意義を問いかけるきっかけだ」と言うのも頷けます。認定が取り消されたとしても、訪れる人には魅力が伝わっているならば、問題ないのでは?逆に、それに頼りきっているのであれば、もはやそれ自体の価値も問われるべきでしょう。
地方創生の一環としての「日本遺産」。制度として果たしてその目的地に届いているのか、あるいは単なる名目だけになっているのか。観光振興を掲げた割に、知名度も予想以上に低い。ここで一度立ち止まり、本当に滅びゆく遺産がそのままの静けさの中で滅びて良いのか、単なる観光資源のために賑わすべきなのか、歴史の風を受け止めた形で語り続けるべきなのでしょうか?
以下、一部の熱量あるコメントを紹介します。
「『西の都』など聞いたことがありません。地域での自称に過ぎない。それでも観光地を目指すのではなく、菅原道真の鎮魂の地として大切にしてほしい。」
「観光地の成功は重要だが、それが観光業界の力だけで達成可能かどうか…。むしろ地元の努力や、適切な資源配置が欠かせない。」
「認定取り消し?それが何だというのか。私たちが誇りを持ち、次の世代へ繋ぐことこそ重要だ。制度やタイトルに頼らず、本当の価値を見出すべきだ。」
「太宰府のように歴史ある場所は評価を定量化できない。世界遺産すらも重荷になることがある。歴史を語りつつ、地元の人々による生活の場であり続けてもいいのでは?」
「カルチャー庁の対応に一石を投じる機会かも。」と問いかけつつ、地方ではいかなる道を模索すべきなのか、皆さんはどう考えますか?この分かれ道、私たちにとって何が最善の選択なのでしょうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d143450b02c76c1ae694bfff5496bf23edce08bb,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]