最近のニュースを見ると、どうしても業界の空気がたるんでいるのでは、という疑問が頭をもたげる。山崎怜奈さんがトランプ氏を批判したことは分かるが、それはただの反射的な批判に過ぎないんじゃないかと感じる。
確かにリベリアの大統領に対する発言は失礼で、無知によるものかもしれない。しかし、それがすべてではない。彼女は「知識があんまり入ってない」や「失礼」と言うけれど、果たして彼女自身の知識や態度はどうなのだろうか。表面だけを捉えて「人としてどうなのか」と断罪するのは、あまりに短絡的ではないか。
私たちが考えるべきは、それをどう解釈し、どう変えていくかだ。批判するのは簡単だが、自分自身もその批判の矢面に立たされる可能性があることを忘れてはいけない。
では、このような短絡的批判が放送される中で、私たちは本当に物事の本質を見ているのか、あるいは意図的に目を閉じているだけなのか。これを考えるべきなのかもしれませんね。
コメント選択:
「英語圏って言葉の意味が面白いですね。公用語だけど英語に不慣れな国もあるし、逆に特に意識せずとも流暢な国もある。アメリカの教育は歴史に疎いんだから仕方ないという意見も理解できますが…」
「結局は自分の嫌いな相手に条件反射的に批判しちゃうって、どこでも見る光景ですね。でもそれじゃ何も変わらない。作り出すのも壊すのも我々次第なのに…」
「英語が上手ですねって言うのは文化的な違い。確かにこのレベルの人が言うことじゃないが、どの国でも同じ感覚持ってる。メディアイメージって怖いね,…」
この短絡的批判の先に私たちは何を求めているのか…。代わりにポジティブな議論に持って行けるのか、それともこのまま不毛な言葉の応酬に終わるのか、お決まりの問いにはしたくない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bcefd33750e713f6768062e8329c532eaa84745c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]