「発達障害は存在しない」と公然と主張する政党のこの発言、もう聞き飽きたって感じですね。日本自閉症協会や発達障害ネットワークなどが矢面に立って反論しているけど、いつまでこの議論が続くのか、正直うんざりです。確かに、発達障害に関する理解や支援の枠組みは進展しているし、日本の法律もその存在を認めている。じゃあ何でまだ「存在しない」って言い張るんですか?結局、根拠のない偏見や誤解が政治の舞台でのさばっていることに我々は苛立ちを感じざるを得ません。
そんな中、声を上げることができる団体や個人がいること自体が救いです。しかし、その声が届くまでにはまだ時間がかかるのかもしれない。「障害ではなく個性だ」という意見もあるけど、本当にそれで片付けていいのか?個性として片付けてしまうことが、支援を受けられない人への逆転として働くこともあり得る。
ここで問いかけるべきなのは、いったい「発達障害」のあいまいな定義が、どこまで社会の中で役立っているかということ。果たして可視化されないものを「存在しない」と言い切る社会が本当に理想的なのか?ここで、考える必要がない問題はない。支援が必要な人たちに対して何が最も効果的なのか、それが問われています。
コメント:
私たちの社会には、まだまだ障害への理解が不足していると感じています。発達障害者は長い間「個性」として片付けられ、多くが必要な支援を受けられずにいます。これでは、彼らにとっても、その周囲の人々にとっても不幸な結果となるでしょう。政治の舞台で議論されるべき問題だと思います。
発達障害を「個性」として捉えることで、支援の枠組みにも問題があることを感じます。個性ならば、個性に合わせた社会の形も必要ではないでしょうか?これでは、支援を受けられない人々の苦悩がますます深刻になってしまうのではないかと危惧してます。
過去の法律や定義がもう時代遅れになっているのかもしれません。それでも、根性論だけで片付けるべきではありません。もっと広く議論されるべきですし、精確な情報が共有されることが必要です。政治家の発言が及ぼす影響を考えるべきだと思いますが、どうでしょうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bba97a767e3bccf48afa55f321d98cdf43949aea,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]