さて、俳優の高知東生が参院選に関して「他責思考の議員には投票しない」と投稿した。その姿を見て思わず笑ってしまった。彼の言葉は一見正論に聞こえるが、実際には問題の核心から逃避するか、もしくは影を投げているだけに過ぎない。そんな「スケープゴートを作るなかれ」というメッセージは本当に実効性に乏しいのだろうか。では、目を背けることなく、単純なスローガンを超えて、私たちはどう向き合えばいいのか。
陰謀論にはまると単純な言葉に飲み込まれる、なんてよく耳にする。実践で学んだ成果をもとに社会を良くするという高知氏の理想を応援したいが、実際には言葉だけが浮世離れしている。政治が複雑なのは当然であり、選挙のような場で単純化することが求められる。それがなければ、誠に混乱するばかりではないか?
ちなみに、彼の示す「陰謀論」のこの文脈から離れ、ちょっと考えてみよう。誰を責めるか、何に投票するか、それ自体がすでに他責に因果を求める思考ではないか。問題解決のための「真実」にたちむかえないのなら我々はいつまで自分を「騙すな」と叫び続けるのだろうか。ここで問いかけたい。自分自身の責任に目を向けているだろうか。そして、政治の信頼も失われた中で、「自分に利のある選択」をどうやって見つけ、どこまで信じることができるのか?
まずは自分を変えよう
誰かのせいにするのではなく、自分が何をできるかを考えて行動することが大事。その視点でこそ変革が起きる。この意識が欠如しているから改革が進まないんだと思います。
信じる勇気と疑念
SNSやニュースの情報に踊らされるのではなく、まず自分の頭で考える力が必要です。しかし、情報が多すぎて何が真実なのか分からないからこそ、真実を見極める術を学ばねばならない。そうでないと次の選挙も同じ状況に陥る。
陰謀論の優雅なる罠
政府が陰謀論と呼ぶときはその裏に何かがあるのかもしれません。ぜひ冷静に判断し、感情に流されることなく、一度立ち止まってみることが大事です。これはただ単に陰謀論とは呼べない本質を見極める良い機会であるとも考えます。
さて皆さん、ここで問題だ。皆さんは、自分自身の責任をどこまで意識し、他責思考から脱却できているのだろうか?政治や社会の細やかな「真実」の中で、信じるべきものを見つけることはできるのだろうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/584b1acc1b2ad2aef3057b2d23b35ffc7601108d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]