選挙が「王様ゲーム」に見える時代は、まるでジョーカーが笑いながらトランプを配るゲームのようだ。浅井健一氏の「選ばれた政党がこの国を仕切る」という言葉は、民主主義の要素を一本にまとめたものかもしれない。しかし、町山智浩氏が指摘するように、「勝った者が独裁する」という理解は、民主主義の複雑さを単純化しすぎているんじゃないか?
確かに、ロックは「現状にNO」と叫ぶことがその本質だと言われるが、その現状とは何か、誰が定めるのか?ロシアの様に抹殺されることを恐れて黙るか、アメリカの様に言論の自由を王様ゲームに成り下げるか、日本はその中間なのか?
浅井氏が参政党に投票することでロックなのか、町山氏がそのことをツイートすることでロックなのか、どちらも微妙だ。結局のところ「ロックは反体制」っていう思い込みが古いんじゃないのか?考えてみてほしい、今の時代のロックって本当に何を意味しているの?
いや、浅井氏の行動が「俺は俺を貫く」と主張する自由の象徴なのかもしれない。それとも、町山氏の批判が誹謗中傷のない健全な言論にすぎないのか?ここに至っては、「ロックは反体制か、それとも単なる自己主張か?」あなたの考えはどこにあるのか、どちらが真のロックなのか?
選挙で選ばれた政党に従うのか、それとも反対するのか。どちらが真の民主主義なのか?どっちだと思う?
以下のコメントにも注目してほしい:
「浅井氏の『自分が好きではない政党が選ばれても従う』というのは、民主主義の野蛮さの受け入れを示唆している。歴史は選ばれた支配者が民意に背いても何も変わらないことを証明してきた。」
「町山氏が共産主義の根底にある独裁を批判するのは矛盾だ。選挙制度を正しく理解しない人が多い中で、彼の声を警戒すべきでは?」
「浅井氏のスタンスは『現状にNO』と叫ぶロックとは違う。彼は参政党支持で他国の尺度に耐えられない保守的な一票を投じた。でも、自分がそれを批判する権利はあるのか?」
「政治の実態を知らずに動く若者多すぎる。浅井氏も町山氏も言いたいことはわかるが、結局『政治に興味を持て』という言葉に尽きるんだ。」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/eff6081e20d0765516b5ac456b3ba492447243e1,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]