もしも自分の住む場所が、地震に怯える毎日になったらどうするか。悪石島での決断、16人が震度4の恐怖を背負って帰島する。勇気か無謀か、どちらにせよ尊敬せざるを得ない彼らの選択に、私たちはどう見るべきだろう。
公費で交通費を負担するとはいえ、避難先の生活は自己負担。疎外感に溢れる避難生活よりも、生まれ育った地での息苦しい日々を選ぶのは当然なのか。何といっても自分の家の安心感は計り知れない。ましてや、根無し草生活の疲弊感との闘いを考慮すると理解できる選択ではある。
しかし、自然災害に対する備えは不要だと思えるのだろうか。収束しない地震の恐怖とともに生活することが本当に最善なのか、疑問が残る。安心のために帰る方々の心理は理解できるが、彼らの本当の選択肢はこれしかなかったのか。公助と自助の間に揺れる現実が、彼らの帰島を後押ししたのは明白だ。
ただ一つの疑問が残る。「安全よりも安心を選ぶことの本当の意味とは何か?」
【優れたコメント紹介】
自分がもし島民だったら、慣れない所で気を使いながら生活するくらいなら、島に戻って、運命を待つ方が気分が楽だと思う。避難生活は想像よりも、大変なものなのだろう。
生まれ育った地というのは離れ難い。
危ないかもしれないとわかっていても、やはり生まれ故郷の居心地の良さは代え難いものです。まだまだ地震が続いてるけど、農家さんが多そうだし、放っておけないんだろうなあ。
昔の大震災の時、自分も家に帰りたくて仕方なかった。生まれ育った場所に戻りたい気持ちが強かったけど、危険を顧みずに戻るのは今でも賢明な選択だったか悩んでる。
住み慣れた場所に戻りたいって気持ちはわかるけど、正直いざというときにどうにもならないような場所だし。苦渋の決断かもしれないが、自分の安全を優先することも必要だ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/7f29f972449af6c7e8dcfb24c055a17b904d3e9a,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]