埼玉・和光市で目撃されたライダーたちは、果してただのマナー違反なのか、それとも地域ぐるみの問題か。このケースを考えると、まずは視聴者自身の交通ルールへの意識を問う必要があるだろう。道路での速度の感覚や、歩道走行が見られることについての許容範囲はどこまで広がっているのか。これらは、単に違法行為ではなく、この「常識の肥大化」がもたらす社会の盲点になっているのかもしれない。高齢者ライダーの行動に見られる「昔はこうだった」といった考え方から、我々は何を学ぶべきなのだろうか。交通規則の遵守は、ただのルールとしてではなく、社会の安全を守るための基礎として重要視されるべきだ。
ところが、マスメディアの報道の姿勢にも疑問が残る。「危険運転」という見出しがある一方、その後の法的処置や制裁については、あまりにも曖昧だ。これがニュースとして本当に価値のある報道なのかは疑問であり、「危険」を演出することでただ視聴率を得ようとする姿勢が見て取れるのは残念だ。結果的に、その視聴者が行う投稿は法的な責任を持たないものの、社会的な関心や不正を明らかにすることも同時に求められている。
しかし、ここで一つ疑問が浮かぶ。果たしてこのような今日の状況を改善するには、警察の取り締まりの強化か、社会全体での意識改革か、どちらがより効率的なのか。
みんなでルールを守ろうとする声は大きいが、それを引き起こす原動力が何なのかを考える必要がある。私たちがどう行動するべきなのか?その答えを見つけるには、まだ議論が必要だ。
コメント1: ついには高齢者の運転まで問題視されるようになったが、それだけでは不十分だ。ドラレコの普及で目につく事例が増えているだけで、もともとこうした行動は社会の一部として黙認されてきた。法律と厳格な取り締まりの間で市民がどれほど自主的に行動するかが問われる時代になったのでは。
コメント2: 和光市の件を取り上げるときに感じたのは、視聴者にとってこれが「異常」なのか「日常」なのかで受け取り方が変わるということ。日常の中で許容されてしまった何かを覆すためには、もっと根本的な社会改革が必要だと思う。交通ルールの教育を子どもの頃から徹底することがまず第一歩だと思う。
コメント3: こういった視聴者からの投稿を利用することの善し悪しについても再考する時期だ。法を超えて他人を監視する行為を無意識に許容する風潮が社会に広がることの危険さを見直すべきだ。「やっていい」範囲の見直しが必要だ。それができなければ、視聴者の笑顔の裏で何かが失われていく気がする。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d04de61c06f9b159d9edeb9f691dba1ce8e28b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]