さて、この一連の事件、もし無意識に“出してしまった”としても、“たまたまそうなった”という言い訳でこの状況を切り抜けられると思ったのでしょうか?「出したくて出したわけではない」って、何の魔術的瞬間が起きたというのでしょうか。陰部が勝手に出てくる魔法でも習得したのでしょうかね。
そもそも、57歳の成人男性がそんな言い訳で逃げ切れると思っているのが寒すぎる。公共の場でのわいせつ行為、特に多くの人が利用するバスの中での行動には理由なんて関係ありません。むしろ、この言い訳からは、彼にとっての「公の場所」という基本概念が理解されていないとすら感じます。名前も顔もさらして二度とできないようにすべきだという意見におおいに同意する。
この手のニュースはしばしば素人芝居的ないい訳を聞かせてもらいますが、今までで一番面白い言い訳「出したくて出したわけではない」。この究極の言い訳が、読者に対してどんな議論を引き起こすのか。社会の窓が偶然開いていても社会は許してはくれないでしょうし、これでは「公共の場での守るべき行動」という大きな問題に対する無理解をどうにかせねばとの思いを強めます。
さて、社会はこのような「不本意な露出」に対してどのように対応すべきなのか?
コメント:
そもそも、「出したくて出したわけではない」などという言い訳を堂々と言える勇気に感心します。出さなければ出ないもの、仮に無意識だったとしても、その無意識の理由は何なのか知りたい。
万が一の出来事として認識するにはあまりに不自然。公共の場所でのわいせつ行為は刑罰に加えて社会的制裁も与えるべきです。「出したくて出したわけではない」は誰に対しても通用するわけがない。
57歳にもなってこのような事故(という言い訳)が起きるなんて、本当に理解不能。バスという単一の狭い空間での恐怖心を考えれば、事後対応だけでなく予防策も必要なのでは?
本当に「出したくて出したわけではない」なら、どんな理由があれば納得できるのでしょうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/83f39c46b0d5c7d9d199fa5809144114e9c933f4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]