さて、ブルーインパルスの展示飛行についてちょっと辛辣に意見を述べてみよう。空に描かれるスモークの模様や、その華麗な飛行技術は確かに目を奪われるもので、多くの人が心を動かされたと伝えられている。ただ、一方で私はこう思うのだ。観客の中にはこの飛行が単なるイベントなのか、それとも何らかのメッセージを持ったものなのか、はたまたそれを消費するだけの娯楽として見ているのか考えてみたことがあるのだろうか。
人々がブルーインパルスを見て笑顔になったというその効果、果たしてこの時代に必要なものなのだろうか。そして、パイロットたちの努力や夢を語る一方で、そこに潜む戦争の影をどう捉えるべきなのか。ただただ飛行の美しさを讃えるだけでは済まされないように思える。
ここで問いたい。「夢」と「美しさ」と引き換えに失うものがあるとしたら、何を守り、何を手放すべきなのだろう?それとも、それを考えること自体が無粋なのだろうか?
空を飛ぶことの意味
ブルーインパルスの飛行には、確かに夢や希望が詰まっている。だが、そこに続く道の険しさや、知られざる努力があることも忘れてはならない。
子どもたちがその夢を追い続けるために何ができるのか、考えるのは大人の責任だと言えるのではないか。
平和の象徴か、それとも…
華やかな飛行を見上げるとき、果たしてそれは平和の象徴なのか、それとも軍事力の証なのか。感動したと同時に、少し複雑な気持ちにもなった。軍用機が飛ぶ光景を日々楽しむことの意味を問い直す時が来ているのかもしれない。
観衆の在り方
数々の素晴らしい飛行技術に感嘆するのも良いが、それを単なる観光の一環として消費していいのだろうか?観る者の心構えも試されている気がする。イベントでの一瞬の感動を、どう日々の生活へとつなげることができるかを考えていきたい。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cda2ac6e240493d2e5b66b5d208d04f977a0f572,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]