ああ、ここにまたひとつ、面倒くさい芸能界の無情な一面が顔を覗かせた。しかし、オイ聞いてくれ、なぜ彼女の愛猫の状態が発表されることがここまで重要だったのか。遠野なぎこさんの遺族からの言葉を読む限り、彼女の人生とは本当に猫とともにあったかのように思える。それは確かに温かく、優しい話だ。だが、それを超えて彼女自身の存在は、猫と心を通わせたただのハートウォーミングなエピソードでは語り尽くせないのでは?本質的には、彼女が生きた現実こそが切実なのだ。
俳優業に懸命に向き合っていたとは彼女の親族が述べている。だが、その姿を見た我々一般人はどうだろう。見えていたのはエキセントリック、波乱万丈、自らの人生を曝け出し続けた彼女ではないだろうか。彼女の死について「事故」とされているが、その言葉は正直、投げやりであるようにも感じる。事故とは、偶然の賜物なのか、それとも意図的に閲在の総決算として結末を迎えたのか。事故や不幸な出来事以上に問われるべきは、彼女自身がいかにしてそれに至るまで「懸命に生きたか」ということだろう。
私たちは一体、名誉を守るべき家族の言葉を信じるべきなのか、彼女自身の無数のエピソードによってこじ開かれた真実を考えるべきなのか。
自死ではないと言われても心の底では知らぬが仏なのではないか?最後に、あなたは多くの痛みから解放された彼女にどんな想いを寄せるのか。遠野さんの人生の価値を、猫の幸せで測り切れるというのか。
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遠野さんがたびたびSNSなどで披露していた愛猫・愁くんについては「無事に保護され、現在は安心できる環境で元気に過ごしております。どうぞご安心ください」と状況を伝えた。悲しい現実。彼女の人生を象徴するかのようだ。事故とは本当に彼女らしい幕引きだったのだろうか。誰にも知られず一人で去り、猫だけが彼女の存在を感じられる。心安らかにと思う反面、この現実はやはりモヤモヤしてしまう。
先日発見されたご遺体が結局、遠野さんでそれが事故死だったということでしょうか。どういった事故だったのか気になる所ですがいずれにしてもご冥福をお祈りいたします。彼女の人生は本当に辛いものでした。そんな遠野さんが最後まで懸命に生きた末果たした幕引きがこうなのだと思うと残念でならない。どのような形であれ、今は安らかに休んで欲しい。
なぎこちゃん、ご冥福をお祈りします。同じ境遇の者として感情移入し、涙が溢れ出すばかり。辛そうだった彼女が最後に心安らかな場所を得ていることを望む。そして、彼女の意思に沿わないかもしれないが、これが元来の彼女の形ではないかとも思い始める。命の掛け合いより静かであること、それが本当の救いだったのかもしれない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0fdf33dac766e3f2fbbb5a30b64e90a0eaf2a697,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]