最近、韓国の「大谷」駅が日本の野球ファンに新たな「聖地」として浮上しているらしい。でも正直、その熱狂はちょっと理解に苦しむ。名前が同じだからといって、それが聖地になる理屈がどこにあるのか。わざわざ韓国に行くのなら、なぜ日本国内の大谷関連地名を巡る旅をしないのか?その方がよっぽど意味があるだろう。
韓国を訪れる理由として名前の一致だけでは弱すぎる。実際のところ、大谷翔平選手の壮絶なプレーやその生き様こそが価値を持っているのであって、名前自体にはなんの力もない。駅名が同じだという単なる偶然を元にした聖地化は、その地域の便乗商法にしか見えない。大谷選手の名前は、彼の努力と才能によって初めて輝いているのだから、自国の大谷関連の方が立派な聖地として意味があるだろう。
結局、真に価値がある場所は大谷選手の生涯に直接関わりがある場所じゃないか。では、この韓国の大谷駅を実際に聖地として訪れるファンはどれほどいるのか。そして、なぜわざわざ異国でそれを追い求める必要があるのか?ここに異国で聖地を見出すことと、真に意義ある場所で価値を感じることの間にはどれほどの差があるのだろうか。
仮に韓国の大谷駅を聖地とすることに意味があると思うなら、それはあくまで観光PRに過ぎない。
大谷選手と全く関係ない場所を聖地と呼びたてながら、何の魅力もない場所に人を呼び込もうとする安易な宣伝としか思えない。日本にも、大谷流や大谷町などが数多く存在するのに、なぜ韓国なのだろう?
本当に大谷選手のファンなら、そのゆかりの地に向かうべきだ。彼の出身地である岩手県で彼の足跡を辿ることこそが真の巡礼だと思う。せめて、彼の所属するチームの試合をアメリカで観戦する方が、よほど納得のいくファンの行動だ。
大谷駅への旅は、日本国内でも充分可能だし、実際に彼が関わった場所の方が旅行の価値がある。大阪や宮城県などにある同じ名前の地を選び、観光に繰り出す方が意味があるのでは?だが、それでもなお韓国の大谷駅に惹かれるのは、ただの“韓国発祥聖地化”という幻想に過ぎないだろう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/2effca7d12ee77b0bcc2707d48289083a0d3c7bf,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]