鶴保氏の「運のいいことに能登で地震があった」という発言は、言論の暴力以外の何物でもない。自民党の対応は、いかにも選挙後に気を使った薄い措置だ。なぜこのような不適切な発言が許され、撤退を拒む「政治家」が議場を歩き続けるのだろうか。議員辞職せず、予算委員長の役職を辞退するだけで済ませるのは、まるで「給料と手当ては失いたくない」という、保身に過ぎないように見える。
この状況で、与党が何を目的としているのか、国民に背を向けているようにしか感じられない。鶴保氏の過去の問題行動が積み重なっても、選挙を通じて面目を取り戻すことを目的にし続けることが許されるのか。そのような姿勢が、日本の民主主義をどこに導くのか、本当に考え直す時期に来ている。
鶴保氏の辞任が実際に何を意味するのか。政治の信頼を取り戻すには、どのような選択肢があるのか?役職辞任が十分であると考えるのか、それとも議員辞職が必要不可欠なのか。
コメント抜粋:
政治家や公務員の報酬は職務だけでなく、高いモラルや倫理を求められていると思う。残念ながら最近は失望させられるばかりだ。
失言というより、被災者や被災地への暴言とも言える発言を軽々しく放ち、謝罪会見で反省の色も見えず、辞職しない精神により一層の憤りを感じます。
本人の判断は兎も角、党が責任を取らせるのであればそれ相応の結論を出せば区切りがつけられるのに、こんな中途半端な処罰を出すから批判はその都度再燃して長引く。
国民の代表として活動する立場の重さを理解していないのでは。この発言から今の政治がいかに国民の方を見ていないかが分かります。選択肢が問われる時期です。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6a73ab437553332277df8dcccdaf32cba1090c19,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]