茨城大学の学生たちが参院選に関心を持ち、6割が投票に行くというのは、確かに一見するとポジティブな動きに見える。だが、その数字の背後には一筋縄ではいかない現実が潜んでいるのだ。50人のデータで果たして何を語れる? しかもこの「6割」という数字、要するに「4割は関心も持っていない」ということだ。何をしているのかと突っ込みたくなるのも当然ではないか?
「投票しない学生は、今後は政府に文句を言う資格がない」と豪語する意見もあるが、それは果たして筋が通っているのか。一票投じたって、現状がすぐに変わるわけでもない。現金支給より長期的な解決法を望む声もあるが、それもまた政治の空虚な約束に終わる可能性は否めない。
様々な政党が名前を連ねているが、結局国民民主がトップ、自民が次点。候補者が当選したところで、政治の仕組みとしては古参の政治家が牛耳っている状況は変わらないだろう。結局、声だけが大きくて中身のない政治のサーカスはいつまで続くのか。
結局、参加しない者、投票に行かない者は果たして自己責任を許されるのか。政治不信を超えるのは、一体どのような契機を待たなければならないのか。結局、投票するにしても評価基準はどこに置かれるべきなのか。
投票する・しないの選択は、本当に個人の自由として扱われるべきなのか?
<コメント>
大学生A:選挙って、結局誰に入れても同じじゃないかな? もし存在価値がないと思っていたら投票しないという選択肢もあるわけで、投票しなければならないっていう圧力が不満です。自分の一票なんて意味があるのか疑問に感じながらも、結局はみんなどこかに入れるしかないんですね。
政治に無関心な若者が多いという指摘は的を射ていると思う。投票率6割ともなれば大学教育も一考の余地だろう。だが、それほど多くの学問の理解が必要かと言われれば、投票用紙に×をつけるだけの行為が果たして“勉強”なのか?
若者はもっと選挙に参加するべきという意見は少し極端すぎる。特に決まった政治志向を持たない彼らにとって、投票行動はただの儀礼に過ぎないのでは? 一票で変わるという幻想を振り払えず、彼らは本当に意味を見出せるのか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/32a509c31e225ff8cfb3fd3fe0a5bb34a2a34f1f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]