さて、この「伝説の喧嘩師アンディ南野」の記事ですけれども、これを美談として語る前に、一度立ち止まって考えてみた方がいいんじゃないですか?確かに弱者をいじめなかったのは良いことかもしれない。しかし、進学校で暴力を期待するとか、そもそも選択肢が間違ってるのでは?そんな学校に入るぐらいなら、初めからバトルで鍛えられる底辺校でも行っていれば、もっとスムーズに卒業できたかもしれない。しかも、進学校だからこそ、彼の優れているところを活かせた可能性もあるのに、それを自ら潰してしまったかのように感じるんです。
進学校で喧嘩相手を探し、暇を持て余したライオンのように日々獲物を探していたという過去を美化するのは、あまりに安易じゃないでしょうか?一般的に見れば、その過去は決して賞賛されるべきものではなく、自分の非を認め、改善していくことこそが重要だったはず。人は変わることができる、良くなることができるというのは素晴らしいですが、過去の不良行為を美談として語るよりは、その教訓をどう活かしていくのか、もっと語るべきじゃありませんか?
最後に一つ、彼が述べた転機である幼なじみの事故死について。果たして、親友の死が彼の人生を変えたとされるが、その「変わりよう」とは果たしてどれほどのものだったのだろうか?これをどう評価しますか?結局は、過去のことを持ち出して過去に何があったかで価値が決まるのでしょうか?それとも、現在の彼の姿だけを評価すべきなのか?
【コメント】
友人が亡くなったのも、ただの違法行為の結果じゃないか...なんでちょっといいハナシみたいにしてんの...過去がどうだったからといっていまを否定する必要はないけど、いまがどうであろうと過去を美化するのも違う。
学生時代、20代前半くらいまで警察沙汰を何度も起こして、その後更生してめちゃくちゃ良い人になったとたまに聞きますが、学生時代から真面目で何も問題起こしてなく社会人になっても、まともな人の方が圧倒的に素晴らしくないですか?
誰にも迷惑かけず学生時代から勉強頑張ってきた真面目な人のが偉いってそりゃそうなんだけど。この人も自分の個性や武器を結果的に最大限活かした人生を歩んでて凄いと思うしやりたいことやれてるってめっちゃかっこいいと思う。
どうでしょうか、過去を乗り越えた彼の姿には価値があるのでしょうか、それともその過去の波に流されるのが実情なのでしょうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/eee68e898e9325e2d880d7eefb8f71f84e234a7b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]