自分の無理筋の学歴詐称をSNSで「皆さんの熱い想い」で支えられていると綴る田久保市長、そのポジティブさには脱帽だ。もはやこの騒動、学歴の問題を越えた一種の現代アートとも思えてくる。ポイントは、卒業証書の真贋を問われながらも「しっかりと前を見据えて歩んで参ります」と、胸を張るこの精神。笑えないが、それくらいのメンタルがなければ市長職は務まらないのかもしれないと、逆に納得しそうになるから不思議だ。
市長のこの一連の振る舞いは、皮肉にも権力にしがみつく執着の美学を見せているようだ。結局、問題は「卒業証書を出せばいいだけじゃん」に尽きるが、それを覆すための話術と行動力は圧巻。代理人の弁護士が卒業証書の確認をしないのは何故か、弁護士すら巻き込んだこの不思議なロジックに市民も呆れ返るしかない。
それにしても、彼にとっての「前を見据える」とは、果たして市長の座にしがみつくことなのか。あるいは、これは市長としての新たなチャレンジ、つまり「如何に自分を正当化するか」といった新たなプロジェクトなのか…。あなたはどちらだと思いますか?
以下、興味深いコメントの一部を紹介します。
「この方はご自分にとって耳心地の良い言葉しか響かないし、受け付けないのでしょう。
卒業出来なかった過去の事実より、今の自分とその自分を支持してくれる人が全て...」
「百条委員会の請求を拒んだり、虚偽の証言をした場合の罰則というのも、期限が過ぎたから即逮捕、拘禁ということでもないのでしょうね...」
「私は中卒や高卒でも学歴で能力が決まると思っていません。だから大卒にこだわらず素直に言えば良いし、謝ってしまった方が信用があると思います...」
「素朴な疑問だけど、卒業証書が本物だったと仮定して言うと田久保氏は卒業式出てないんですよね?じゃあ、卒業証書の入手経路は何処なのって思うんだけどな。それに、人間の心理学的に言えばやましい事がなければ卒業証書を見せれば済む簡単な事案...」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/ccf2a975160c3c7e81247d0c77074f9a2954171c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]