私たちの時代に、かつてのウィークポイントはどのように変容しているのか。舛添要一氏の意見には、現代日本とナチスドイツを曖昧に結びつける危うさを感じる。一方で、SNSが政治に与える影響はヒトラーが演説で発揮したものを凌駕するかもしれない。時代は変わり、SNSは新たな戦場。
選挙演説が力を持つ時代は過去の話だろうか?現代の選挙では、演説よりも「拡散力」こそが重要であり、もはや一度口にした言葉は瞬時に広がる。ヒトラーの時代はSNSがなかったため、舛添氏の発言には説得力が欠けているように思う。しかし彼の言葉には、行動しない人々への警鐘としての意味もあるだろう。
「ヒトラーのような独裁者はあり得ない」と安心できる根拠は何だろう?SNSが民意を増幅し、突然流れを変える可能性を考慮するべきかもしれない。政治家の演説には「魂」が必要だ、などという美辞麗句は現実的ではない。現代に求められる政治家像とは、揺るぎない信念を持ちつつ、広域に展開できるメッセージを持つ者か。
しかし、現実問題として過度の不安は健全な議論を歪めるリスクを伴う。舛添氏の発言に賛同するか否かはさておき、現代日本では何を優先して守るべきなのだろうか。
SNSか演説か、私たちはどの手段を信じるべきなのか。
以下は注目すべきコメントです。これをめぐる議論を展開し、個々の意見が集約されることを願います。
国民は自らの歴史を冷静に振り返る心構えが必要です。何故なら過去を記憶するものだけが、現在を見極め、未来を見通すことができるからです。歴史との対話は特に若い世代にとって大切です。たとえ生まれる前のことだったとしても。引き継いだ歴史から誰もが自由になれないのです。ヴィリーブラント 第4代西ドイツ首相
舛添氏はどうしても自分の主張が新しく生まれてきた主張よりも正しいと言いたいのでしょうか?ヒトラーの演説が効果的だったのは事実かもしれないけど、ヒトラーの時代はSNSが無かった事を無視してますね。SNSと演説とどちらがより効果的か論証するなら、SNSが無かった時代を例にとっても意味がないのは舛添氏のような方ならお分かりのはずですがね。
外国人に金を使うより、日本国民の困っている家庭に優先的にお金を使うのは当然だと思います。これまで発言の機会がなかった市井の人々が、ネットが身近になり自分の意思を表示しているだけです。
選挙の力で政治を変えましょう。さすがにこれは話を飛躍させ過ぎ。民主主義の成熟度、経済的背景、権力構造、宗教・民族、国民意識と何もかもが違い過ぎて同列には置けない。一部の日本人による排外的言説や感情の存在は事実であるが、それをナチスの台頭と同一視するのは歴史的・構造的に飛躍である。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/16ac43f68ecbcbb72ce544fcb7c2f77ed55a8eb2,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]