選挙が「感情の営業」だなんてヤナギブソン氏も面白いことを言うもんですね。確かに、SNSを駆使したスローガンやバラマキ政策が選挙で優位に立つのはもはや常識。しかし、それってポピュリズムそのものじゃないですか?相手が国民だからしょうがないって、どこか諦めにも似た感情が垣間見える。
でも本当にこれでいいのでしょうか?選挙がただの感情論になってしまえば、有権者の知性や理性はどこに行くのでしょう。SNSの時代に、良くも悪くも空気感に流されやすい選挙構造は危険だ。極端な意見が支持される時代背景を考えれば、我々はただの傍観者でいていいのか。傍観者でいるだけでは、それこそナチスのような過去の失敗を繰り返すことになるのでは?
ヤナギブソン氏が言う「教育で俯瞰で見る力を育てる」必要性というのは確かに重要。しかし、それが今の風潮に逆らうことになりはしないか。むしろ、今の風潮があるからこそ教育が重要なのだと彼は言いたいのかもしれない。ただ、現状打破のためには現実的な教育政策がどれだけ有効かは未知数。
とはいえ、若い世代に対しては、聞こえのいいスローガンに惑わされず、自分自身でしっかりと調べ、考えることが必要です。大人にはそれができる知識や経験があると言いますが、本当にそうなのでしょうか?それとも、このまま無知なままであることが賢明なのか。
では、ポピュリズムを避けるためにはどちらを選ぶべきでしょう?私にとってそれは常に難しい選択であり、このジレンマをどう解決するかは皆さんに委ねられています。
政治家は詐欺師?政治家を見たら詐欺師と思え、という考え方もあります。フーンなるほどと思ったら、その内容が不当に他者を傷つけないか、実際にできる事なのか、できるとすればどのくらいの期間が必要かを考慮することは重要です。これができないと、日本に成熟した政治は望めないでしょう。
教育と知識の重要性確かに、高校の地理歴史の知識が頭に入っていることは最低限必要。ナチスの台頭を見れば、知識と教養の欠如がどれほど危険か理解できるはずです。まずは政党代表を盲目的に崇めるのではなく、知識や教養を深めることから始めるべきでは?
声を強くすることの反作用現代社会は情報に溢れているが、強い言葉を発信するだけでは反感を買うことも。声が強いだけでは扇動できると思うのは民度を低く見すぎでは?複雑な現代での判断力がなければ、世の中は危険な方向へ進む可能性があります。
信仰を政治に持ち込む危険性新興政党が「信仰政党」としてSNS上で幅を利かせることを考えると、現実への影響が恐ろしい。ナチスの手法が未だに有効であることを考慮すると、感情による操作が歴史を繰り返させる可能性が高い。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a1b92866876a1869053ce7457707bd4f6aba117c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]