本郷さんのブログ発言は、まるで温度差が激しいお湯と氷水を一緒に混ぜたようなものですね。果たして日本文化の「侵略」という言葉が適切なのか?日本の電車内表記に英語以外の言語があることで、日本がどこかに奪われているという感覚は、まさに「日本人が不快ならダメ」というスタンスです。だが、観光地に行って見かける日本語の案内をありがたいと思ったことはないのかと問いかけたいです。日本は観光立国を目指していると公言していますが、果たしてこの方向性に疑問を持たないことが「日本人ファースト」に繋がるのでしょうか?実際に、ソウルでは地下鉄に日本語の案内がある一方、日本では多言語表記がなされることで利便性が提供されているのが現状です。設問し、答えが出ないところが、斬新に見えるが、深く考察するとただ単に浅い主張ではないかという疑念が残ります。
それでは、電車内の言語表記は日本のアイデンティティを奪うものなのか、それともグローバルスタンダードに寄り添うための必要悪なのか?皆さんはどう思われますか?
本郷さんの主張は、英語を世界基準とすることが極端だと思います。英語がわからない観光客も来るのですから、多言語表記があって良いと思います。
文化侵略というのは何だかオーバーに聞こえます。
観光地での多言語表記はサービスとして必要だと思っています。英語でさえ苦手な日本人が多い現状では、観光客が安心して旅行できるようなサポートが欠かせないと言えるでしょう。
そもそも電車内の多言語表記が気になるのはデザイン的に美しくないからでは?表記がゴチャゴチャしていて、情報を探すのに時間がかかる現状こそが問題です。やはり日本語と英語だけに限定したほうが景観にはプラスかも。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3357fce81f5d3ec9c6a94aa50a50992c1c51ec38,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]