政治の世界では、言葉は刃物にもなりうるが、小沢一郎の言い切りはまさにその典型だ。しかし、その「論評に値しない」と切り捨てる姿勢は、果たして賢明なのか。それでは問題に対して目を向けるチャンスすら奪っているのではないか、と疑問が残る。
石破茂の「なめられるな」発言も、熱気が冷めやすい時代の中でどれだけ国民の心に響いたのか。政治家の言葉がどれほどの重みを持つかが試される時代だ。強硬な姿勢が人気を集める欧米の流れを日本にどう取り入れ、この変わった時代にどう生きるかを考え直す必要がある。
また、小沢が述べた参政党の急伸を右翼的という単純な分析で片付けるには、あまりに短絡的だ。この党が右派層にしかアプローチできていないのか、それとも日本全体の政治風景を確実に変えているのか?古い政治観にしがみついている限り、未来に向き合うことはできない。
しかし、自民党の保守の牙城を崩すことが本当にできるのか?小沢の言説によると「立憲民主党には関係ない」らしいが、その傲慢さは自ら築いた壁をさらに高くしているように思える。
そして、最後の質問だ。政治家が信じる敵を持ち続けることで、真に国民の支持を得ることができるのか?国民が未来を託せる政治家を見つけることができるのか?この先、政治の未来をどう描くべきか。
選択されたコメント
小沢一郎は過去に新党を次々と作る事で資金を集め、信用を失った経緯がある。そのため現在も多くの人が彼を信用していない。立憲民主党は古株に頼らず新しい改革を進めなければ、自民党の牙城を崩すことは難しい。新しい政党が躍進すれば立憲民主党は舵取りが更に厳しくなるだろう。
自民党がリベラルに寄り過ぎていることで、右派側の層が参政党に流れている印象がある。民主主義において多様な意見があるのは良いことだが、主義主張がはっきりした政党同士で意見を闘わせる状況の方が良いと感じる。
自民党の非保守派を参政党に寄せる動きは、右翼政策の受け入れによるものである。しかし、参政党の政策はまだ幼稚で国政を任せられるレベルにはない。成熟した政党になるにはまだ選挙を重ねる必要がある。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6145daaa0b9b87e935c25dcbea9e0cb07f644bc4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]