遠野なぎこさんの訃報を受け、悲しみと安堵が錯綜する複雑な感情が湧き上がってきます。自死ではなく事故であったと公表されたことに対して、ネット上では「やっと楽になれた」というコメントが多数寄せられているが、心底から違和感を覚える。果たしてそれは本当に「楽」になった選択だったのか。彼女の人生は、母親の手ひどい虐待や摂食障害、そして精神疾患との戦いに満ちた日々だった。その背後には何か我々の想像を越えるものがあったのだろうか。
さらに愛猫への愛情深さをもって生き続けた遠野さんを、彼女自身が望まずして逝ったと思うのはあまりに表面的だ。彼女のあの強い意志をもって生き抜いた姿は、簡単に「安らか」だったとは言えない。それでも名優としての存在感を示し、多くのドラマで個性を輝かせた彼女を、果たして「もう楽になれた」と結論づけてよいものだろうか。
むしろ公表された「事故死」という事実こそが、彼女の名誉を守りたいと願う親族の思いだったのかもしれない。それゆえ、残された猫を思う遠野さんの優しさが最後まで彼女を支えた、そう信じたい。そしてその人生をどう弔うべきか、私たちは考え続けなければならない。
それでは、彼女が楽になったと思うのか、本当にこれで安らかに休むことができるのか?
コメント:
自死ではないということは、死にたくて死んだわけではないということ。死ぬつもりはなかったのに体質体調室内温度とか色々なものが重なってこのようになってしまったのかもしれないですね。遠野さんが、一生懸命丁寧に生きていたこと、生きようとしていたこと、猫ちゃんを我が子のように大切にしていたこと、そして芸能のお仕事での数々の功績を忘れません。
遠野さんの自宅から身元不明の遺体。遠野さんとは連絡取れず。で、身元不明の遺体=遠野さん、とは皆が思いつつも、どこかで無事を祈る方もいたと思いますが、悲しい結末ですが現実を受け止めなければならない覚悟も出来たのではないでしょうか。寂しい終わり方で、関係者もファンも何かしてあげれた事があったのではないかと悔やまれる事もあると思うけど、彼女の出演された作品を振り返り、彼女を忘れない事が供養になると思います。
うつ病を単に「心の病」のように思いがちだが、重度になると起き上がることさえできなくなるらしい。自死でないのであれば生存行動もできないような状態だったのだろうか。そして「生きよう」という気力がなければ外部に助けを求めることもしないかもしれない。ちゃんと発表して頂けたことはホントに救われた気がします。バラ色ダンディでのレギュラーも欠かさず見てました。不安定さがありながら真面目にも可笑しくも感情豊かにコメントされてたのが印象的でした。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/c029aa4cd51dc4bd98a5d8fc9b56430df03722dc,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]