デマ情報の拡散とは、まるでデジタル時代の噂話の暴走。SNSでの情報、その速さと悪意の無さが、現代の炎を燃やす燃料になっているのです。しかし、何故私たちは、信じたいものを信じたがるのでしょう?あるいは、あえて真偽を確かめず、心地よい現実の中に留まる方が楽だからか。正しい情報を得るにも、発信源や根拠の確認という面倒な手続きを避け、表面だけの情報に飛びついてしまうのが人情。それが、現代の情報氾濫の結果生まれたデマの流行の原因です。
教育は重要といえど、現実は後手後手。メディアリテラシーの教育を行うと言われながらも、抜け落ちているのが教育の現状。そこで、倫理や自制心が育む人間性が必要になるのです。しかし、その過程で行うべき対策は何か?国民がデマを見抜ける力を持つまで待つべきなのか?それとも、国が介入する方が早いのか?
さあ、あなたの判断次第で未来は変わる。結果的にどちらが正義か?それは一体誰が決めるんですか?
選挙は候補者本人が公式に掲げた公約によってしか「公約を守った」あるいは「公約を破った」と評価できないのだから、「また聞き」のSNSの情報を頼りにすること自体が間違っている。その意味ではマスメディアの情報も頼りにすべきではない。ネットを使うなら注意深く公式サイトを見つけて、そこでの情報のみを評価すべき。選挙の時くらい、一次情報を見ることも必要だと思う。
人間は自分が信じることを誰かが言うと信じやすいものです。「この人ならこんなこと言いそう」と思っている人がネットでやらかしたことを伝えられると、「やっぱり」と思って調べようともせずに納得してしまうようです。だからこそ拡散する前に一度立ち止まって「これ本当?」と疑うことが必要なのですが、自分が信じてるから難しいんですよね。
SNSでいろんな情報を得ることができるようになった。しかし、同じ件について真逆の解釈もあり、明らかに事実の誇張と思われるものもある。しかし私も完全に公平な立場的それらを評価しているかと言えば、やはり私自身の価値観で判断していることが多い。「もう少し自分の意に沿わない考えも聞くべき」とは思うのだが、なかなかできない。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/74bfbf37567acaae2ca17ea4970ade515321166c,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]