世の中で「気分転換」として午前3時の堤防に座る選択をする人がどれほどいるだろうか。他人事ながら、なぜその時間、場所が「気分転換」なのか全く理解できない。眠くなって次の瞬間海に落ちるなんて、漫才のネタかと思うほどだ。しかし、流れに逆らわず泳ぎ続けたというその冷静さは驚くべきもの。素人には到底真似できない技術と忍耐力、副業の漁師か何かだろうか、と勘ぐってしまうほどだ。
しかし、このような過酷な状況で生き延びたことは本当に助かってよかった。命の恩人、消防や警察の方々の迅速な対応も確かに称賛に値する。しかし、ここで気になるのは、ニュースの報道の仕方だ。堤防でたまたま眠ってしまったからとはいえ、「ほっとするニュース」として捉えられるのか、救助されたこと自体が注目されるべきだったのではないか。もしこれが山岳遭難だったら、「自己責任」の声がすぐに上がるだろう。それなのに海だと何故か違うのだ。
これで結局、堤防で眠るのも、山で滑落するのも同じく命が危ない状況、でも同じ反応は得られない。皆さん、どうしてこれは違うのでしょうか?
コメント抜粋
助けが来るまでの13時間、孤独と恐怖に耐えた彼には本当に脱帽です。私ならばパニックになってしまうだろうな。
救助隊も本当にお疲れ様でした。ここで寝てしまうなんて、無事でよかったけどもう少し注意を払うべきではなかったのか。
この件を通じて学んだことは警戒心の大切さです。見知らぬ場所や予想外の状況でも冷静に対処するマインドセットを持つことがいかに重要かを改めて感じました。気分転換が何とも人それぞれですね。
結局、海も山もどこでも気分転換に行くことはリスクが伴うのだと認識しました。でも海で助かったとして、登山だと違うリアクションをされるって何なのかなと少し思います。助かって良かったというこの感動は普遍的ではないのでしょうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6920ade1526c5c99661c2f4db18802c776950b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]