さて、この7月5日騒動、改めて考えてみますと、日本人の「不安に対する免疫力」が露わになったように感じますね。昔から地震予知に対する疑念があったのに、漫画の一説に人々が揺れるとは。しかもその影響が観光業にまで及ぶとは、まるでデマが社会全体を影響力のあるメディアにしてしまったかのようです。
気象庁の野村長官は科学的視点で物事を見んさいと言ってますが、そもそも科学が神秘を解き明かせてないって現状もあるのよね。結局のところ、科学もまだ予測というレベルの域を出てないし、未来はシュレディンガーの猫状態で、本当にどうなるかなんて誰も知らない。だからみんな不安がって、悪趣味な噂に踊らされる。
そして教育現場に任せるってのも、うーん、どうなんだろ。学校で教えても、ネットの中での情報洪水には勝てないかもしれない。むしろ家庭や社会が子供に手本を見せることが大切だと思うんだよね。ここで差が出てるのは環境のせいじゃないのか。
結局、野村長官が言うように科学教育が進んだとしても、情報を疑う力が伴わないなら意味ないでしょう。人々の不安感はデマを信じさせ、また新たなパニックを生む。じゃあ、いつかまた似たようなことが起きたとき、私たちはもう少し賢く冷静に対処できるようになるのかしら。
そこで問いたい。デマが二度と社会を混乱に導かないようにするには、果たして科学だけで足りるのか。あるいは、もっと違う何かが必要なのか?
コメントセレクション
こういうデマが広がるたびに思いますね。どこまでが信じるに値する情報か。情報提供者、ネットの質の低さを責任無視で広げさせるのはどうなのか。確実に地震が来る日などないのに、備えだけはしておこうと思います。
私は静岡県出身で、東海地震をずっと聞かされました。「絶対に来る」と言われながら50年。今では科学も予知できないと言うので、だったらデマと言い切るのが不思議です。宗教や占いや予知夢がオカルトなら、科学もかつてオカルトだったのでは?
気象庁の科学的予測がもっと具体的で信頼性があるものにならない限り、私たちの焦点は育てるべき科学的リテラシーから、自己防衛の準備に移るべきではないでしょうか。
将来起こるかもしれない地震の確率を「科学的」と称するなら、何の日に起こるかの予言をオカルトと言うのは矛盾している気がします。どちらにしても備えをしておくことが最良の策だと思います。
科学教育の強化だけでは、信じ易い人々の心を救えるのでしょうか。それとももっと根本的な社会対策が必要なのか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/098443351f7d9d11881d6dac1964758907992f8e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]