野球というゲームの裏側には、常に姿を見せない力が働いている。それは運だ。菊池雄星が「勝ち星はコントロールできない」と言い放った時、彼は投手としての現実を指摘したのだ。日本の文化で重視される「勝ち星」の概念が、いかに浮世離れしているかを示したと言っても過言ではない。野球は個人の力だけでなく、チームの連携、運、そしてタイミングに支配される。一人の力だけで勝利を掴むことは不可能なのだ。
彼の主張は、データを重視するMLBでの現実にしっかりと根ざしている。イニングを稼ぐ、クオリティ・スタートを実施する、それが真の評価基準であり、勝ち星は単なる数字に過ぎない。日本のメディアがこの基本的な価値観をいまだに理解していないことは、私たちが浅はかであることを証明している。
そして、選手が本当の自分の価値を認識し、周囲の評論に流されずに己の投球を全うする姿勢は、見習うべきだと痛感させられる。このような価値観の衝突が続く限り、報道と現実とのギャップを埋めることは果たしてできるのだろうか?
それとも、勝ち星という旧態依然の認識を捨て去り、本当の実力を評価するための新しい基準を見つけるべきなのか?
ここからはコメントでの視点も興味深い。
1.「珍要望も何も、結構本気の苦言だと思う。大谷やダルビッシュなんかも勝ち星はコントロールできないもので全く重要視していないと言い続けてきたし、さすがにセイバーとか興味ない層も勝利数や打点が選手の実力を示すには最適ではない指標と気付いてきている。」
2.「日本の名球会入りの投手の資格、(日米通算)200勝も見直すべきでは?先発完投が当たり前だった過去の基準で、今後達成する人はマー君以外現れないと思う。」
3.「野球をよく知るようになってからあまり勝ち星は意味がないと思うようになった。日本の報道はやたらと勝ち星を主張するけど。勝ち星より防御率とか四死球の数、球数など内容を見るようになった。」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f6adbb019d57ccb3ed911a14da4d1d9bc9d73dc4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]