1億2400万円の賠償を求めた男性の訴えが棄却されたと聞いて、なんだか怒りが込み上げてくる。67歳の彼は、人生の貴重な14年間を不可解なシステムの中で消耗されてしまったのに、まるでそれが仕方ないことだとでも言うのか。不正確で紛失された証拠、その上に隠蔽、それでも違法ではないと言い切る法の理屈が、何かおかしいと思わないか? 「証拠を紛失しようが隠蔽しようが、無罪を勝ち取ったことで充分だ」という風潮が不気味で堪らない。
この事件によって、彼は家庭生活も破壊され、絶望の中で過ごした年月に対する報いは一体どこにあるのだろうか。都合の悪い証拠がなかったことにされ、制度が人間の生活をここまで無責任に扱っていてもいいものなのか。「法は無罪を見つけたが、救済は見つけられない」状況に追い込まれる人々の声がいつの日か届くことを願ってやまない。
今回の判決で何が変わったのか。無罪を勝ち取るまでの彼の苦しみ、失われた時間に対する賠償がなされない現実、これはもう誰もが対処すべきシステムの矛盾ではないのか。この事件は、ただの一人の悲劇ではなく、システムに対する警鐘である。正義が機能するためには、ただの判決以上に、失われたものに対する償いを果たすべきだ。
司法の信頼を維持するために、忘れてはならない問いがある。「無罪となっても、人生の無駄を取り戻すことはできるのか?」
ネットからのコメント
1、結果として無罪は確定している。なのに、警察検察に相応の責任を問うことはできないと言う。なんか、最近確定した裁判結果への責任がどんどん軽くなっている気がする。袴田さんの事件でも無罪確定後に検事総長が袴田さんを犯人扱いするコメントを出し、捏造を指摘されているのに何の処罰も無し。大川原化工機の冤罪事件でも、取調べの違法性を認定されても何の処罰も無し。こんな状況では、本当に罰せられるべき犯罪者だって有罪判決を受けても非を認めなくなる。再犯率だって上がると思う。まずは警察検察が裁判で指摘された認めるべき誤りを認めて関係者への処罰を徹底することで、裁判結果が軽視される風潮を変えるべきだと思う。
2、事件が発生した日に深い恨みをもつ被害者の引っ越し先マンションを、携帯電話がつながらない状態で探し回っていたこと自体は認めており、当日乗っていた自動車が犯行現場付近で路上駐車してるのを3人の住民が目撃し、近所の別のマンションでは当人も住民に目撃されていたが、被害者宅を見つけることはできなかったと言う。確かにこれだけでは被害者宅に行ったことにはならない。
3、殺人事件の重要な証拠を14年くらいで紛失するんだねしかもDNA鑑定なんて日進月歩だから今までも証拠品の鑑定が覆されてるのに素人でも重要な証拠だと簡単に推察できるけどね紛失しちゃうんだね紛失なのかな
4、信じられないほどの時間と人生を奪われた一例と言わざるを得ません。証拠品の紛失と隠蔽が、何よりも重大な冤罪の温床となった事実は、法のもとに生きる私たちに激震を走らせます。司法の厳格さは、誤認をただす力にこそ価値があります。今回の判決を契機に、証拠保全や開示手続きの徹底を再点検し、二度と取り返しのつかない悲劇を生まない仕組みを築くべきです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6b4bb83b24f0849b02651f9fa0be3d770cdd4a38,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]