ニュースを見ていて、「またか」とため息をつくことが増えている。**時代は平成を超え、令和に入り、多様性を叫ぶくせに、なぜか意見を出すと叩かれる。**これを見て、何かがおかしいと思わないだろうか?
山本アナの発言が炎上したことに対して、参政党がTBSに抗議した。だがここでの本質は、「偏向」ではなく、**「いつから意見を持つことが罪になったのか?」**という疑問だ。もはやニュースは単なる事実の羅列では収まらない、。それが視聴者にとっても明確になってきた。
昭和の久米宏さんのようなアナウンサーがいた時代にも、視聴者は多少の偏りや個人の見解を受け入れていた。むしろ、それがあるからこそ人々は議論を重ね、考える機会を持ったのだ。三田村邦彦さんの「個人の思想を表していいのか」という意見には、一種の懐古主義を感じる。もうその時代は終わったのだ。
では、どうするべきか?**「意見を持たない報道」とは、結局のところ無味無臭で何も生まない。**現代において、意見のない報道は存在し得ない。まさにそれが、時代と共に変化するニュースの役割ではないだろうか?
「沈黙は金」とはいうが、無言のニュースなど価値があるのか?
ネットからのコメント
1、三田村氏のご意見は至極真っ当だと思う。TBSの山本アナはあくまでもTBS社員であって、フリーアナウンサーではないはず。そんな立場の方が公共の電波を使って、しかも選挙期間中に特定の政党を批判し下げるような発言をするのはどう考えてもおかしい。公共の電波は国民共有の財産です。特定の政党に肩入れをしたり、特定の政党を下げるような発言をする事自体大きな間違いだし、自論を述べたとしても勘違いが甚だしい。こんな重大な事案を起こしておいて所轄の総務省はいつまでダンマリを決め込んでいるのだろうか。中立公平の立場を弁えないような放送局は放送免許剥奪でも何ら問題はないと思うし、村上総務相は何かしらコメントを発するべきではないでしょうか。山本アナも自身の思想信条を語りたければ、TBSを退職してフリーアナウンサーにでもなってから発言すれば良い。それくらい今回の発言は大きな問題である事を理解すべきである。
2、既に建前だけの存在となって久しいですが、テレビは法律によって公平公正を定められています伝えるべき立場の人間が主観を挟むのは不適切としか言えないでしょう自身の意見を表に出したいのなら、然るべき場でやればいいだの話なので、報道の中でやる意味が分かりません三田村さんの意見に全面的に同意します
3、実際に取材をしたのならともかく、ただVTRを見ただけで専門家でもないのに、局アナが自分はこう思うって言うのはどうかなと思います。
たとえ、誰かにあなたはどう思いますかと尋ねられても、当たり障りのないところで済ませるのが礼儀じゃないでしょうか?
4、局アナはテレビ局の肩書きを持っているのだから発言にはTV局が責任を負うべきものだが久米宏が冠番組を持って自由にしていた頃はフリーアナウンサーだったはずですね。この記事は比較するべき対象を誤っていますし、山本アナに対する擁護ありきの印象操作を狙っている内容で報道業界の身内贔屓をよく可視化しています。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c69fc5519b49c13ff1016378fdbb7653b1694f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]