日本における外国人政策の議論には、あまりにも単純な「切り分け」が感じられてならない。松井市長の言葉を聞くと、その古典的な思考のアンチテーゼが浮かび上がってくる。「国内の人と外国の人を単純に分けるのは人権軽視だ」との発言には、批判者からの「綺麗事だ」という声が聞こえる。しかし、本当にそれだけで済む問題なのか。一国の政策が「迷惑行為」に基づいて制定されるべきなのか、考えさせられる。
この問題を考える際、私たちは「迷惑行為」を行う個人への直接対応と、全体としての制度改善を別々に考えるべきだろう。つまり、私たちが国外で生活する時には、その土地の外国人になるという視点の欠如が悲劇の種となってはいないか。行政システムの不全が軋轢を生じさせているという指摘は一理あるが、実際の行動が伴わない限り、言葉は空虚でしかない。
いずれにせよ、問題の本質は私たち一人一人が抱える偏見と恐れにある。「それが『誰か他の人』の問題であるうちは、決して解決は訪れない」という認識こそが、今必要ではないだろうか。真実は自分たちの行動に宿る。その視点を持ち続けることが、真の多文化共生への道なのかもしれない。
ネットからのコメント
1、「人権」と「邦人・外国人の区別」は何の関係もないので「人権軽視」という言葉がどこから出てくるのか理解に苦しむ。
邦人も外国人も日本国では法の下に平等であり、人権もまたその法によって守られている。よって、法を犯せば国籍に関係なく処罰の対象となるだけのこと。今多くの日本人が「法を犯しても、外国人には寛容で邦人には厳格なのではないか」という疑問や不安を覚えている。そのことが、外国人問題として脚光を浴びている要因の一つだと思う。
2、まず多文化共生を誰が望んでいるのでしょうか?同じ事を日本人が諸外国で出来るのでしょうか?これまでの諸外国の失敗を見て、これではいけないと思い今の考えになったと感じています。税金等の未払い、事故、モラルの低下など課題が山積みですが、広島市長としてどうお考えでしょうか?まずはそういった問題を解決してからにして下さい。
3、この方はどんな情報を信じてこんな発言してるのかな?誰も日本人と外国人を切り分けるなんて言ってませんよ?例えば日本の不動産を買い漁って 民泊にしている国の人や 日本のルールやマナー、習慣を無視して我々日本人の生活が脅かされている現実を、しっかり法律を作って日本人を守らなければならないって言ってるんですよ!政治家として、発言には責任を持ちましょう!
4、知事や市長といった連中は、テレビや新聞といったオールドメディアの要求通りの発言をする。どうやら彼らの背後には巨大な権力があるようだ司法も全く機能していない。外国人の犯罪は不起訴、そして無罪釈放。
全く公正正義など存在しない逆に外国人様を逮捕しようものなら、特に新聞が「外国人への人権侵害だ!」と大騒ぎし、定期購読者の高齢者たちが左翼新聞と全く同じ文言を繰り返す。オールドメディアと、彼らに扇動された高齢者たちによって作り出されるメディアポピュリズム。これこそ民主主義の最大の敵でしょう
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/abc46c546fc3c5e0a2163b2500e069768fc13c87,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]