市長の除籍問題を受けて思うのは、我々の社会にとっての「学歴」の魔力だ。東洋大学を卒業したと公言していた彼の学歴が単なる除籍扱いだったとは、極めて滑稽だ。この問題が深く突き刺さる理由は、学歴など紙一枚に過ぎないのに、なぜかこの国ではその紙が人生の価値を左右するほど重視されているということだ。田久保市長が卒業証書を提示拒否した背景には、何とも言えない暗黙の了解があるように思える。証書の不提示で裁判や罰金にまで及ぶことがあるとは、学歴のために膝をつく社会の恐ろしさを見せつけられる。
さらに市の広報誌での誤記載は、公共機関ですら個人の学歴に対する信頼を盲目的に示している証拠。赤い角印に何の意味があるのか、市職員たちの証言についても笑ってしまうほど頼りない。「卒業証書」という一枚の紙きれが、この問題を転がしている。**紙一枚で権力が操られるのは、もはや悪夢でしかない。**我々は、この社会の価値観がいかに脆弱であるのかを見極めるべきだ。
最も考えさせられるのは、この事件を通じて浮かび上がる、学歴という名の鎖から解放される日は果たして来るのか。
ネットからのコメント
1、やっぱりと思いつつも、第三者のほとんどは「疚しい点がある」としか映らないし、公人たる市長の対応として問題外と感じます。
何だか最近の政治家は、当選さえすればご自分に投票してくれた人の意思を踏みにじり、当選後に問題があっても他人事の様な無責任対応は、単に「公職選挙法」だけの問題ではなく、その行為によって影響を受けた場合には、選挙費用も含めて被害補償させる様に法律改正が必要と強く思います。
2、静岡市民です。本物の卒業証書などあるはずもないので出しようもなく、提出拒否すると思ってましたが予想通りです。本人が卒業していないと認めているのに何故こんなにもめて時間をかけているのか。それは私見ですが、1.市の広報課長や市議長にニセモノを出した自分の非を認めると訴追を受ける。2.少しでも長く市長としてのステイタスを守り、報酬を受けたい。3.自分自身も悪人を認めたくない。くらいでしょうか。いずれにしても静岡県の恥なのでさっさと辞めて市の職員に普段の仕事に集中させたい。
3、チラ見せしたと言われる「卒業証書らしきもの」に関する私文書偽造の疑いが高まったと言える。あとは、裁判でいかに市長が錯誤していたかをアピールするかだが、本人も卒業していないことを自覚する証言やチラ見せでコピーも取らせない行動をみると、錯誤でなく確信犯の蓋然性が高いと言える様に思います。
4、百条委員会は、「正当な理由がなく提出しない場合は、6カ月以下の拘禁または10万円以下の罰金に処せられることがある」に基づき「正当な理由」ではないとして、粛々と手続きを進めれば良い。
そうでなければ百条委員会自体の意味がなくなる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/56dcae320cf3f2397895880a6823d5c98bc985c4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]