こんな世の中、ほんとうに嫌になる。
SNSが支配する現代のジャーナリズム? それがどんなに「真実」に近づくことができるのか、正直なところ疑問でしかない。竹内英明議員が命を落とした理由を思うと、SNSの「誹謗中傷」の恐ろしさを改めて痛感する。陰謀論がネットで暴れまわり、彼がどれほど努力してきたかを知っている人々がデマに振り回される。ネットのバーチャルな世界で育った感覚が、現実の命を奪う。
選挙結果を左右する力を持つSNSって、そんなに信頼に値するものなのだろうか? 無責任に情報を拡散し、誰かを傷つけることに快感を覚えるような人々の存在が、政治や社会をどれだけ荒廃させるか。ジャーナリズムの名の下に、何が真実かを見極めるのではなく、ただ感情を煽り立てるだけ。それでいいのか?
「報道の自由」とか言っているけれど、それが本当に「自由」になったのは一部の人たちだけ。 無駄に騒いで、結局何も残らない、そんな情報戦に巻き込まれる社会に、どう立ち向かうべきなのか。
SNSで拡散された「声」が本物の影響力を持つ時代、それでもジャーナリズムが輝きを取り戻す日は来るのだろうか。全てを疑うことが正義だとは思わないが、もう少し自分たちがどんな情報を消費しているのかを、きちんと考えるべき時ではないのか?
信じるものが、もはやない。
ネットからのコメント
1、身近な人をネット中傷で亡くしました。最初は小さな書き込みでも、日を追うごとに膨れ上がり、本人の心をじわじわ蝕んでいきました。励ますことも支えることも追いつかず、気づいた時にはもう手遅れでした。書き込んだ本人たちは何の責任も感じていないでしょう。でも、遺されたこちらの時間は止まったままです。SNSは便利だけど、言葉の刃にもなる。その重みを一人ひとりがもっと真剣に考えるべきです。二度と同じことが起きないように。
2、YouTubeの獲得view数で収益が得られる方法を改めるべきだ。数年前から過激な切り取り映像を流すことでview数を稼ごうとする人が増え、それゆえに「人の目につくなら何でも良い」とどんどん過激になり、またその過激な映像を喜んで見る人が増えて真実ではないことがさも真実かのように広まっていく。どこかで歯止めしないとどんどんモラルが無くなっていく。
3、「いじめっ子がいじめられていると訴えて権利を要求する」は最強のツールになっている。今回の選挙を見ていると、「いじめっ子世にはばかる」というくらいにそれ一色だったように感じている。
例えると「本当に虐げられている人」の声がかき消されるくらい「普段しているおかわりができなくなった、国にいじめられている」という声が爆音だった。
4、お金がないからとかネットの台頭とかそんな外的環境の問題ではないよ。強いて言うなら、兵庫県知事選でオールドメディアが手をこまねいているすきにデマが広がったように、テレビや新聞に関する法律や慣例が形骸化しており、今のサラリーマン記者たちはそれに疑問を持たない。問い直す経営体力もない、と言うならまだ分かるが、たいていのオールドメディア論はVSネットに終始する。SNSの誹謗中傷は問題だが誹謗中傷が巨悪とするのは、そもそものマスコミ報道も含めたあらゆる発信の暴力性からも視線をずらしてる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/698b736b3a1a971b3b69d821c24caa3d3312749b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]