2024年11月18日、兵庫県議会議員・竹内英明氏が誹謗中傷を受け議員辞職。その背景には、パワハラ問題で不信任を受けた斎藤知事の再選を巡り、竹内氏が「知事を貶めた主犯格」とされSNSで中傷の標的になったことがある。選挙後も悪質な風説や嫌がらせが続き、翌2025年1月、竹内氏は自宅で亡くなった。これはSNSにおける陰謀論的情報拡散とジャーナリズムの衰退が引き起こした悲劇である。
一人の誠実な地方議員が、SNSに蔓延る陰謀論と誹謗中傷の果てに命を絶った――この事実を、ただの「悲劇」として済ませてはならない。
この事件の本質は三つある。第一に、SNSが極端な言説を過剰に拡散し、事実と虚構の区別を曖昧にする構造的欠陥。第二に、オールドメディアの衰退によって公共空間からジャーナリズムが後退し、健全な批判精神が代替されてしまった現実。第三に、公職者の人権を守る制度的セーフティネットの欠如である。
では、何をすべきか。
SNSプラットフォームにおける誹謗中傷の通報・削除プロセスを迅速・明文化し、AIと人間の審査の連携体制を強化すること。
地方議員など公職者向けに、名誉毀損・悪質情報の法的支援と心理的ケアを公費で提供する制度の整備。
ジャーナリズム再構築のため、PV競争を煽るコタツ記事ではなく、一次取材を重視する公共的メディアへの支援と教育の拡充。
真実を守る力が弱まれば、民主主義は情報の暴力に乗っ取られる。沈黙するには、あまりにも重い犠牲だ。
ネットからのコメント
1、身近な人をネット中傷で亡くしました。 最初は小さな書き込みでも、日を追うごとに膨れ上がり、本人の心をじわじわ蝕んでいきました。 励ますことも支えることも追いつかず、気づいた時にはもう手遅れでした。 書き込んだ本人たちは何の責任も感じていないでしょう。 でも、遺されたこちらの時間は止まったままです。 SNSは便利だけど、言葉の刃にもなる。 その重みを一人ひとりがもっと真剣に考えるべきです。二度と同じことが起きないように。
2、YouTubeの獲得view数で収益が得られる方法を改めるべきだ。 数年前から過激な切り取り映像を流すことでview数を稼ごうとする人が増え、それゆえに「人の目につくなら何でも良い」とどんどん過激になり、またその過激な映像を喜んで見る人が増えて真実ではないことがさも真実かのように広まっていく。 どこかで歯止めしないとどんどんモラルが無くなっていく。
3、「いじめっ子がいじめられていると訴えて権利を要求する」は最強のツールになっている。今回の選挙を見ていると、「いじめっ子世にはばかる」というくらいにそれ一色だったように感じている。例えると「本当に虐げられている人」の声がかき消されるくらい「普段しているおかわりができなくなった、国にいじめられている」という声が爆音だった。
4、お金がないからとかネットの台頭とかそんな外的環境の問題ではないよ。 強いて言うなら、兵庫県知事選でオールドメディアが手をこまねいているすきにデマが広がったように、テレビや新聞に関する法律や慣例が形骸化しており、今のサラリーマン記者たちはそれに疑問を持たない。問い直す経営体力もない、と言うならまだ分かるが、たいていのオールドメディア論はVSネットに終始する。 SNSの誹謗中傷は問題だが誹謗中傷が巨悪とするのは、そもそものマスコミ報道も含めたあらゆる発信の暴力性からも視線をずらしてる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/698b736b3a1a971b3b69d821c24caa3d3312749b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]