世の中、「正義」という言葉ほど都合よく使われるものはない。
ポール・ワトソンの赤手配が解除されたと聞いて、私はまず**「正義が勝った」とは決して思えなかった。**むしろ、14年追い続けていた側の私たちの立場は何だったのかと問いたい。日本が掲げた“法の執行”は、国際社会にとっては「政治的動機」扱いされ、紙くず同然になった。これが国際社会のリアルであり、残酷な序列だ。
そもそも「過激な戦術で知られる」なんて表現で済まされるほど、生易しい話じゃない。**環境保護の名の下に暴力を正当化するのは、ただのエゴの押し付け。**それを称賛する声が世界のあちこちにあるというのも、もはやホラーだ。
日本の正義が通らないなら、それは私たちの言語や倫理観が、国際舞台では“ノイズ”に過ぎないという証明ではないか。「ルール」はあるが、「ルールを誰が解釈するか」が常に問われている。
だからこそ今、声を上げたい。「法」とは誰のためのものなのか。正義が国境を越えたとき、私たちは何を守るべきなのか。
ネットからのコメント
1、これが許されるなら、今後は同様の行為は犯罪では無いと言う事なんでしょうね。やはり、国際機関は当てにならない。
被害国が訴えても、結局世界の常識では無いと言う事なんでしょうね。逆に、同じ事をフランスやデンマークがやられたら、きっとテロ行為と言って武力行使するんじゃ無いですか?まあ、国際捕鯨委員会を日本は脱退した事は正しい選択だったと思います。資金だけ取られて、日本の主張が受け入れられない、逆に批判や制裁ばかり課せられる国際機関への参加は今後見直すべきです。日本は、金だけ盗られて制裁や勧告ばかり課してくる国際機関は参加する意味が無い。
2、商業捕鯨とはそもそも「鯨も持続的に利用可能な海洋資源である」という前提で行われる以上、その意味でサンマやサバ漁などと何ら変わらないので、商業捕鯨の議論において検討すべき問いは、「適切な資源コントロールを前提とする捕鯨を行なう上で、年間何頭まで捕獲可能か?」「捕獲可能枠の内、採算性を考慮して実際に何頭を捕獲するか?」という点だけであり、感情論なんて不要なんですよ。それなのに、その問いの前提を否定して「捕鯨そのもの」に反対する人は、捕鯨に限らず全ての漁業、ひいては野生の動植物全てを獲(採)ることを全否定しているに等しいので、建設的な対話なんかできるわけがありません。
3、捕鯨を絡める事により人々の同情を買い、結果的に日本の船への攻撃という犯罪がまかり通ってしまったという事ですよ。つまり、捕鯨船なら暴力的な活動をしても許されるという事になりかねません。
公海での日本人への暴力に対して、政府は毅然とした対応を要望します。
4、デンマーク当局は身柄拘束直後には確か「今は日本政府からの身柄引き渡し要請を待っている状況だ」と日本への引き渡しに前向きだったと記憶している、後に、仏が日本への引き渡しに反対する声明を出すと徐々に引き渡しに消極的になって言った様に感じた、やはり仏との関係を無視できなかったのだろう。釈放されすぐに仏に渡ると仏はこの環境テロリストを即座に「パリ名誉市民」に認定、日本人の私にとってこれは日本に対する敵対行為と感じた。フランスだって10年ほど前にはパリを中心とした同時多発テロに見舞われているのだし、もしそのテロの首謀者を東京の名誉都民にしたらフランス国民はどう感じただろうか?
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a75b6b68ea66d3be1b3a521e4e2826af3657b575,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]