大東亜帝国グループの大学について、しばしば議論されるが、本当にこの序列に意味があるのか考えてしまう。大東亜帝国と呼ばれる私立大学群は、進学のボーダーラインとされることが多いが、あえて言えば「大学」という枠組みそのものが過去のものに近づいているのではないだろうか。
少子化が進む現在、大学の存在意義は再考されるべきだ。今や、入学のハードルは著しく低くなり、大学進学そのものが当たり前となってしまったが、実際の教育の質や学習の動機はどうなのか。大学名で優劣をつける意味は、雇用市場でもはや無力化しているのではないか。むしろ、大学というシステムが持つ本来の価値を問い直す時期が来ているのでは?
企業は学歴ではなく、個々の人材の能力や潜在力をどれほど評価できるかが鍵となっている。最後に問いたいのは、大学の序列が固定化しつつあるこの時代で、果たしてランキングそのものに価値があるのか、それともそれは単なる過去の産物なのか?
1.「良くこう言う記事が出ますが、果たして大学で優劣を付けても良いのだろうか?学部です判断すべきだと思う、その大学の一番アホな商学部を卒業しましたが、一部上場企業に就職し、管理職まで上り詰め悠々自適の老後を多分迎える事が出来ます。
何を言いたいかと言うと、最終学歴で無く、企業でどれだけ人と物を上手く動かす能力があるかと言う事です。」
2.「このあたりの大学は目的意識を志して進学するってのはないと思う。大学へ進学できる家庭環境があり、とりあえずは高卒は避けたいと・・・・。学歴は25歳までだね。新卒の時に落ちた企業で47歳からほぼ同じ条件で働いているよ。学校の話は出なかった。」
3.「大学に行ったから地頭がいいともならず、むしろ、それだけで判断してしまうと、従業員と採用したら、とんでもないお荷物になる人もいるからもはや、大学ではないのかなと。むしろ、高校のレベルでみたほうが、地頭力は測れるし、おおきなはずれはないと感じる時代かな。」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/faced4b24ff1e89774325296fd21214c0aac05d3,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]