目を通した瞬間、思わず頭を抱えた。まさに、予想通りの“感動ストーリー”に収束しているけれど、冷静に考えるとこれ、ちょっとだけずるいよね。「余命数か月」って、どうしてもエモくて感動的なストーリーにしないといけないという呪縛に囚われすぎてる。感動を求めるあまり、リアルな辛さや絶望の中にある微妙なバランスがすっ飛んじゃってない?
確かに、家族や愛する人のために曲を作るというのは美しい。でも、これを“泣かせるためのコンテンツ”に使ってしまっている気がするのは私だけだろうか。命の儚さを“感動”に転換しすぎて、少し冷めた目で見ると、商業的な利用法に見えてしまう。本当に感動的なら、わざわざこんなに詳細に語る必要はないはず。もっと心の中で静かに感じるべきでは?
「娘が成長したとき、この歌が力になるといいな」って、まるで完璧なハッピーエンドのようにまとめられているけど、こんなにも美しく描かれた瞬間に、何か物足りなさを感じないだろうか? この文章、感動を与えるためだけに作られたフィクションのようで、実際に彼が感じた苦しみを共有できていないような気がする。
でも、実はその中にほんの少しの「現実」への触れ方がある。
病気が進行しても、死の間際まで曲を作ろうとした精神力にこそ、彼の本当のメッセージが隠れている。ただし、私たちはその背後にある痛みをどれだけ理解しているだろうか?
最終的に、彼が残したものは「歌」だけではなく、人生の全てが集約された一瞬だったのかもしれない。
ネットからのコメント
1、もうすぐ2歳になる娘がいます。その肌の滑らかさや柔らかさ、くすぐったい細い髪の毛、抱きしめていると嘘ではなく元気が内から湧いてくる気がします。このお父さんも悔しいことでしょう…なぜ自分なのかと腹立たしいと思う…。奇跡が起きて病気に打ち勝てたらいいのに…1分1秒でも、家族の方と長く一緒に過ごせますように。
2、ごめんなさいだけど、ツラくて最後まで読めなかった。こういう生きるべき人を生かしてやってくれよ。自分もヒトの親だからわかる。何度も同じ考えがぐるぐる頭の中で繰り返される、そして変わらない現実と目の前にいるこどもとの日々を1秒も無駄にしたくないと思う。あたりまえなことに感謝する日々を忘れないようにしたい。
3、ダンナの幼なじみが十数年前に同病に罹患し、これまで3回骨髄移植をした。寛解したかまでは訊いていませんが、元気に暮らしているようです。同時期頃に白血病に罹患した知人の兄弟は残念ながら…わりと身近に白血病の方がいると認識しました。加齢からドナー登録はできないのが残念です。白血病治療は躍進しています。
大変でしょうけれど、治療がうまくいくように祈っています。
4、明日は我が身。いつ死ぬかわからない。他人事と思わない方が良い。いきなり身内が突然死した。若いのに。この方も大変ですが、残す事はまだできる。一日1秒を大切に過ごして、最後まで悔いなく生きて欲しいと思います。突然死は、何も残らないし、残せないから、そういう意味では時間が残されてると思います。辛い現実ですが、奇跡を起こることを諦めず生ききってください!私も子供いるしひとり親だから死ねないけど、回復願ってます!
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/016a5035d67ff52c6806f9847148aa55d4fbf2a8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]