マンション購入を考えている人がこの記事を見たとき、まず気になるのは「事故物件」かどうかだろう。しかしこの言葉、何か違和感を感じる。遠野なぎこさんが亡くなったマンションが「事故物件」として扱われるのは本当に正当なのか。彼女がそこで生き、愛猫と日々を過ごした思い出の詰まった場所を一瞬で「事故」と呼ぶのか。人の人生が一瞬で「事故」に成り下がるこの現実、どこか冷酷さを感じる。
告知義務があるとはいえ、「事故物件」として扱われたマンションに次の借り主を迎え入れるためのプロセスは、まるで冷酷なビジネスのようだ。遠野さんの名誉を尊重するというけれど、その後の扱いを見れば、それは単なる形だけの配慮に過ぎないのではないか。そして契約から3年が経てば「告知しなくてもよい」となるのも、結局はビジネスの流れにすぎない。「時間が経てば問題なし」という一言で、過去の出来事が無かったことにされるが、本当にそれで良いのか?
不動産のルールは冷徹だ。私たちはその冷たさを受け入れるか、それとも人の温もりを大切にするか。結局のところ、私たちが選ぶのはどちらの価値なのだろう。
ネットからのコメント
1、これは本人も仕事の連絡先として詳細な住所をSNSに掲載してしまっているし隠したくても隠せないだろうね。
次に入居する人うんぬんよりその部屋の左右の住人、上はそうでもないかもだけど下の階の住人は普通の心理でなかなか厳しいものがあるだろうね。
2、誰でも分かっている事を、わざわざ書かなくて良いでしょ。ファンや遺族、故人と親しかった方々への心情に配慮しなさいよ。故人の尊厳や関係者への気持ちを踏みにじってまで、記事に注目させたいのかね。故人の功績、生きた証を書き記すなど、質の高い記事を書きなさいよ。最近の色んな記事を読むと、編集者、編集長、出版社の資質の低下を感じる。特に亡くなられた方々への冒涜は、非常に不快極まりない。
3、人は必ず死にます。たまたま時間が経ちすぎて、本人と判別し難い姿になっていただけ。ちゃんと清掃されていてニオイも無ければ、私なら何も気にしないで借りますよ。むしろ、遠野さんの魂が遊びに来てもいいように、花を飾ったり、月命日にはお菓子でも供えてあげたいですね。きれいな方だったよね、残念だ。
4、不動産管理業だが、近年ここまでとは言わないけど本当にお一人様の最後のことで悩むケースが山ほどです。核家族化、配偶者がいても同時に亡くなることはほぼなくどちらかが残って最後を迎える。みんな家で死にたいとか言うけどそういう風に出来るのはほんのわずかだと思う。病院で、施設でとなってもその一つ前には賃貸や持ち家があってその片付けをちゃんとしていくのは結構老人には大変。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3231a7cbdb540e36b3f587da5f86db7ce9d7d3b4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]