兵庫の街頭演説では、政治家たちが大声で「ふざけるな」と叫び、やじを飛ばすことが日常茶飯事になっているようだ。もうこの国の政治は、まるでお笑い劇場のように変わり果ててしまった。
ここで問題なのは、「カウンター」と呼ばれるやじや抗議活動が対立を煽る燃料になっているということだ。本来ならば、言論の自由を尊重しつつ、建設的な議論ができる場が求められているのに、何のために演説をしているのかわからなくなっている。意見を交換する場が、ただの騒ぎの場になってしまっているのだ。
さらに、参政党やNHK党の街頭演説が特にターゲットにされていることに疑問を感じざるを得ない。他の政党が注意を避けるのは賢明なのか、ただ争いを避けているのか。どちらにせよ、この状況は政治の危機を知らせる警鐘でしかない。
日本の民主主義はどこに向かうのか。街頭での騒ぎや対立は、一瞬の熱狂ではなく、日々の議論を渇望することが必要だ。**騒ぎの背後には、真の対話が欠けている。**政治が失われた平和を取り戻すには、まずはそのエネルギーを対話へと変換する技術が必要だ。表現の自由を守るために、どこで議論が生まれ、どこで対話が失われたのか、深く考えてみるべきだ。
ネットからのコメント
1、終戦直後の混乱期もこういう国出身の人たちが、不当な要求や権利をごり押しして、市役所や警察署、裁判所に押しかけて暴力的に要求を通そうとしてきたという記録が多数の残っている。
2、立花氏の過激な発言だけを取り上げていますが、実際の演説では、罵声を浴びせる輩に対して、「こっちおいでよ。話そ」と言って対話を求め続けて、最後には相手の方が謝罪したり、感謝する場面が見られたりもします。その代わり、いわれの無い誹謗中傷を繰り返して、注意してもやめない場合には、毅然と対応している。ナタで耳を削ぎ落とされそうになり、首にも怪我を負った恐怖にも負けずに演説を続ける姿勢はすごいと感じます。
3、まずとんでも立候補者が乱立した事に原因がある。非道には非道で返すしかない、というか真面目にやってる方が損するからこうなるんだと思います。直近の選挙において放置した選管や警察、検察のせいでもあります。逮捕すべき人を逮捕する、法治国家なのだからそれに尽きると思います。
4、「集まりは自然発生」「一人で初めて参加した」…。マスコミ情報とネット情報を見ている人たちは「ほんまかいな」と思うだろうね。また、YouTubeも見ている人たちはカウンター抗議の過激さ、下品さも合わせてみているし。このカウンター攻撃は今はまだ有効に効くかもしれないけれど、抗議する人たちは敗北するだろうね。テレビや新聞を頭から信じている人たちは減りつつあるから、騙されなくなる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/483852af533473c33f81266fc2e51ddad9ae9a8f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]