こんな政治家が当選する日本、終わってる。
西田昌司氏の発言に関して、「歴史の書き換え」と言ったことに怒りを覚えるのは当然だが、それ以上に腹立たしいのはその対応。選挙戦ではひたすら「経済」や「新幹線」の話をして、肝心の問題には触れず。質問されても無視して、そのままスルー。「都合の悪いことには触れない」という態度があまりにも露骨で、ただの“開き直り”だろうが!
戦争経験者や沖縄県民の声を無視し、反省も謝罪もなし。それに対して、沖縄の人々が「怒りより悲しい」と言うのがどれだけ痛いか、少しは考えろ。政治家が歴史を否定し、そこに生きた人々を軽視することほど許せないことはない。
それにしても、西田氏が当選した結果が示すのは、何も学ばない有権者が多いという現実。こんな人物がまた選ばれる社会に警鐘を鳴らさないと、また同じことが繰り返されるだけだ。「自分の目の前にある現実を見ないふりをして、未来を変えようと思うな」
ネットからのコメント
1、西田議員の「ひめゆり」発言をめぐる議論は当然賛否があると思いますが、今回の選挙結果を見ても、自虐的な歴史観に対する違和感や疑問を持つ有権者が、特に若い世代を中心に増えているのではないかと感じました。
「いつまで謝り続ければ許されるのか」「未来の世代まで負の感情を背負うべきなのか」と思うのは、決して冷たいわけではなく、ごく自然な問いかけではないでしょうか。もちろん、沖縄の悲劇や戦争の記憶を忘れてはならないし、語り継ぐべき教訓も多くありますが、それと同時に、国として未来にどう進むのかという視点も必要です。過去に向き合うことと、前を向いて進むことは両立できるはずです。一方的な糾弾だけでなく、こうした声も冷静に受け止めて議論できる社会であってほしいと思います。
2、西田昌司氏の「ひめゆり展示は歴史の書き換え」との発言に対し、感情的に怒り、言論を封じようとする動きのほうが問題だ。戦争体験は尊重されるべきだが、それが「一切の異論を許さない特権」になってはならない。歴史認識は一つではなく、多角的な検証と議論こそが民主主義の根幹だ。気に入らない意見に抗議文を送りつけ、無視されたら「反省がない」と怒る姿勢は、まさに言論封殺。政治家が歴史への問題意識を語るのは当然であり、それを「けしからん」で済ませるのは、むしろ思考停止。戦前の情報統制を批判してきた人たちが、今度は逆の立場で自由を圧殺している。耳障りでも、発言する自由は守られるべきだ。
3、「米軍が沖縄を救った」のような表現があるがとんでもない。米軍が日本人グループが避難している防空壕に火炎放射器のすさまじい炎を発射しているのを何度も映像で見るととんでもないと思う。
日本本土を攻めるのには沖縄を取らないとできないという戦略的価値があるから沖縄を攻めたというだけで、勘違いをしてはいけない。
4、政治家にも言論の自由はある。もちろんその裏には発言の責任がある。政治家の発言に批判するのは良いと思う。むしろすべきだと思う。しかし、その発言に対して「撤回しろ」とか「訂正しろ」とか言うのは批判じゃなくて言論弾圧だ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3d24b6a99d8788bf662a32607d8204f07dcea4e0,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]