58歳のベテラン教諭が「生徒をしっかりさせたい気持ちが強くて」と胸ぐらをつかんだと語った事件、まさに痛烈に突っ込んでいきたいところだ。まず、彼の『しっかりさせたい』という願望が暴力的に変わってしまうその滑稽さ。感情が先走ってしまったという言い訳は甘い。教室という聖域で、子どもたちが安心して学べる環境を乱す人間が教育者と名乗れるのか?
暴言に至ってはどうだろう。「ばか野郎」や「やめちゃえ」といったセリフは、もはや指導ではなく、ただの苛立ちの吐け口でしかない。こんな言葉が教壇から飛び交う状態では、何の教育ができるというのか。彼がどう思おうと、それは「指導」ではなく「攻撃」だ。中学生相手に自分のフラストレーションをぶつけるだけの行動は何の育成にも繋がらない。
彼の言葉、「本件を重く受け止め」という一文を読むと、もうその一連の謝罪パターンが目に浮かんでくる。その重さがどれほど教育の未来に影響を及ぼすのか、自問せずにはいられない。教育とは未来を育むことなのだから、教師は自らの責任の重さを再認識すべきではないか?
ネットからのコメント
1、私は小学生低学年の頃30年近く前です。給食準備中に教室でかけっこをして担任にビンタを喰らい顔が腫れ上がりました。
その顔で帰宅し、両親に驚かれ事情を聞かれましたが、顛末を話すとお前が悪い、反省しとけだけ言われ、担任を責めるようなことは一切ありませんでした。熱いものを運んでいる給食準備時間に危険な行為をしていました。運が悪ければ顔の腫れなんかで済まなかったかもしれません。今では時と場合を考え行動する大切さを教えてくださった担任に感謝しています。
2、昭和に採用されて数年前に定年退職した元教員ですが、私はそれ以上の厳しい指導をしてきました。運良く38年間で処分されたことは一度もありませんでしたが、一歩間違えば免職になっていたかもしれません。教育的情熱や教育愛という言葉が死語になった気がして一抹の寂しさがあります。ここでこの子の根性を叩き直さねばならないという場面は、長く教師をしていると必ずあるのですが。
3、25年前に中学生でした。野球部でした。ヘルメットの上からですがバットでこつかれました。お尻蹴られました。悪い生徒に真剣に怒って怒鳴ってビンタしてました。でも生徒から親しまれていました。卒業してから1番好きな先生でした。良き時代でした。
4、時代が違うと言われればそれまでだけど…校則を破ったり、他人に迷惑を掛けたりした時は、先生から「なぜ叱られるか?」を説明された上で、小学生時代から普通に往復ビンタ、拳骨を喰らってましたけどね。「悪い事をしたら叩かれる」それが当然として育った子供時代は、決して悪い事だと思ってないし、先生や親を恨んだ事もない。
そのお陰で、一応まともな大人に育ったと思ってます。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/8902fb5cc3a1656089c6c514222b7f929b6f3801,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]