アヒト・イナザワという名前を聞くたびに、伝説はいつも狂おしいほどに輝く。そして、その輝きの裏に潜む苦悩—それはジストニアという名の病である。このインタビューを読むと、音楽という熱狂的な舞台の裏で、彼は一人で病と向き合ってきたことがよく分かる。しかし、ここで気になるのは**「音楽との戦い」としてのバンド活動ではなく「ジストニアとの戦い」が彼のキャリアのメインテーマである点**だ。悲壮感を感じると同時に、彼の生き様に心を惹かれるのは私だけだろうか。
アヒトが自身の音楽を捨てることができないのは、音楽そのものと、それに纏わる過去の栄光と苦悩が一体化しているからなのだろうか。この戦いの中で、ジストニアの発症が舞台に立つ彼にとっての恐怖であり、乗り越えられない壁であることも理解できる。だが、私たちが見つめなければならないのは、その壁を乗り越えるかどうかではなく、どのようにしてそれを乗り越えようとしているかではないだろうか。
彼が「中止」という言葉を選んだのは、まだ彼の心の中に炎が燃えている証拠だ。しかし、その炎が再び爆発的なエネルギーを取り戻す日は来るのか。音楽と病、その二面性に囚われた彼の未来を、果たして私たちはどのように見届けるべきなのか。
それが、真の問いかけなのではないかと思う。このインタビューをきっかけに、本当に私たちが追うべきものは何か、考えさせられる必要がある。
ネットからのコメント
1、イギリスのバンドに交通事故で片腕失ったドラマーがいるバンドいます。長期間、他のドラマーをオーディションして加入させたけど上手くいかず、結局元のドラマーに戻したそうです。電子ドラムを上手く取り入れて今も活動しています。私が言いたいのは、ドラマーは単なるリズムセクションではないということ。楽曲に対してどれだけ貢献しているかが重要だと。以前のようにはできないとは思うけどテクノロジーを駆使して頑張って欲しいです。レッドツェッペリンはドラマーのジョンボーナムが亡くなった時、代わりのドラマーを探すことなく解散を決めています。それくらいドラマーは重要だったバントもいたということです。
2、ナンバガは透明少女のインストアライブから観てたバンドだし、地元なのでライブ後の打ち上げに出くわす事もあったりしました。アヒトや憲太郎が瓶ビールを持って店内をウロウロしてた姿を覚えてます。再結成のステージも観ましたけど、個人的にリズム隊が好きなバンドだったな、と改めて思いました。アヒト君は自分のペースで音楽を続けてくれれば嬉しいです
3、他のコメントにもありますが、50代で音楽活動で食えなくなっても、家業の会社員で食べていけるのは、正直かなり恵まれた人生で羨ましいです。
普通は夢破れて50代で帰郷した場合、立ち仕事のキツイ仕事(で非正規雇用)か夜勤のバイトくらいしかないですからね。現在のジストニアの症状は勿論大変だと思いますが、相当恵まれた人生で、持って生まれた運と環境の大きさを改めて感じます。
4、ナンバガ、くるり、ミッシェル、サニーディ、大学生のときに聴きまくったなあ。特にナンバガは同じ九州出身ということもあって本当に誇らしかった。ひさこさんも、けんたろうさんも音楽業界にいてアヒトさんだけいないのはなんでかなと思ってだけど病気だったんだね...40歳からサラリーマンって、しかもある程度の地位築いてから辞めるのは本当に勇気がいることだったと思う。またナンバガのドラムが聴ける日を楽しみにしています。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/725214bca182e326293c6413650f3c8da973730b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]