私がこの記事を読んで、まず最初に浮かんだのは、「暴投なのに大歓声?本当にそれでいいの?」という疑問でした。ワッキーさんの始球式が癌克服の象徴として意味があるということは理解できますが、暴投に対してのこの大きな歓声、なんだか腑に落ちません。最近の「病気を告白する」流れは確かに勇気がある行動だとは思いますが、果たしてその多くがどれほど深い理解を得ているのか。
また、病を公表することが当たり前のように称賛される風潮も考えものです。**「プライバシーを切り売りして生き残る時代なのか」**とさえ感じます。もちろん、人々に勇気を与えることは素晴らしいですが、それが商業的な目的や注目集めのただの手段になってしまうのは違和感がある。
それに、芸能界の中で病を公表することで、まるで一種の「勲章」のように扱われるのも不思議です。**「病気が武器になる社会、そこには何が欠けているのか」**と考えずにはいられません。病気を克服することは個人の戦いであり、ショーのネタではないはずです。
**「暴投が喝采を浴びる社会、その背景には何が潜んでいるのか?」**これを問い直す時が来たのではないでしょうか。
ネットからのコメント
1、芸能人の方が病気を抱えている事を明かすのは、リスクだと思います。この方には仕事を頼めないかもしれない、スケジュールに穴を開けられるかもしれない。それでも語る事は勇気のいる事だと思います。芸能人の方だからこそ、知られていない病気の苦労を伝える事ができる、一般にも少なからず理解を深めてもらえる。
同じ病の方の立場に立って世の中に説明してもらえる。私はその活動は本当に尊いし、芸能人の方しかできない事をやっていただいていると、感謝と尊敬の気持ちしかありません。
2、芸能人に限らず自身の病気を明かすリスクは少なからずあるだろう。でも、芸能人と言うか著名人有名人が病気を明かす、特に珍しい病気や重い病気を明かすのは、利点もある。水泳の池江璃花子選手のように、重い病気でも頑張って第一線に戻る姿は同じまたは近い病を持つ人への大きな希望になる。池江選手の復帰に勇気づけられた人は少なくないだろう。また希少な病気を明かした場合は、そういう病気があるんだと知ることに繋がる。知ることは偏見を減らすことに繋がる。可能なら事前に注意することもできるようになるし、不可能であっても偏った見方をしないだろう。もちろん公表した病で亡くなる人もいるだろう。それでも、病気と闘い抜いたという思いが残るだろう。病気の公表は勇気のいることだが、意味があるものだと思いたい。
3、以前テレビ番組で何も知らないヒデさんの所にワッキーさんが変装して目の前に現れるというドッキリ企画をやっていましたが、ワッキーさんに気付いたヒデさんが後ろを振り返りカメラに映らないように泣いていた姿が印象的でした。そして『お帰り、、』と言った記憶があります。ワッキーさんも泣きそうでしたね。病はいつ誰を襲ってくるかわかりませんが、こんな風に自分が辛い時に心配したり泣いてくれる同士がいることは幸せなことだよなぁと思いました。
完全に寛解できるようお祈りします。
4、なぜ野球の始球式でサッカー色の強いワッキーさんがと思ったけど、今日の試合が「楽天メディカル頭頸部がん克服デー」だったんですね。ちゃんと意図があったのか。まぁ今でも味覚が完全に戻ってないとか、唾液がガンに罹る以前より出なくなってるとか、色々と後遺症に苦しんでるみたいだけど、なんとか転移なく生き抜いてほしいですね。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/bfdbd419744f23354c34872f95c59ffe25bea46b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]