僧侶に渡したお布施の行方を追求する記事を読んで、心中のモヤモヤが止まらない。なんとも、寺がビジネスの舞台になり下がっている現状が透けて見えるような内容だ。お布施が高級時計や贅沢三昧に消えるなんて、「仏」はどこにいるのだ?**仏道修行よりもモーターショーに心を奪われる坊主たちには、何の救いもない。**そもそも、お布施は供養の心であり、サービスへの対価ではないはず。仏教の教理を持ち出して「公共物への寄付の方が功徳が大きい」と説明されても、それは実践されてこその理想論である。
また葬儀の非宗教化が進む中で、お布施の存在意義が薄れているのも事実だ。宗教の根幹が揺らいでいる時代に、**私たちの信仰はどこへ向かうのか。**僧侶の本来の使命を忘れたこの慣習。果たして、伝統に盲従することが功徳となるのだろうか。お布施は心の清らかさであり、それが物欲に変わってしまえば、いったい誰が得をするのか。私たちが追求すべきは、本当に価値ある信仰であって、見せかけの儀式ではない。
ネットからのコメント
1、我が家の菩提寺様は法要25万円、戒名200万円、本堂の建て替えで80万円の寄付を要求されました。そしてそのお寺の先代が放った一言は、『最近の檀家は口を揃えてお金がないって言うけど、寺にかける金はそう言うもんじゃねーんだよ』と、ありがたいお言葉をいただき最低限のお布施以外は納める事をしなくなり疎遠にしました。
代わりに同じ宗派の違うお寺様に、とても小さいお気持ちですが、定期的にお布施させていただいております。
2、義実家の菩提寺の住職が、近年、真偽不明の団体に傾倒しているようです。たとえば「◯◯菌」や「◯◯酵母」を使えば農薬は不要だとして、近隣の農家に対し農薬の使用をやめ、それらを導入するよう勧めています。また、義祖母の腰痛に効果があるとして、「宇宙からのパワーが脳幹に作用する」といった磁石入りのベルト(3万円)を売り込んできました。菩提寺は江戸時代から続いている由緒ある寺院ですが、現住職の姿勢には疑念を抱かざるを得ず、我々の代で墓じまいをし、寺との関係を離れる方向で、夫の兄弟たちと話し合っています。
3、うちの檀那寺の坊さん、2年か3年ごとに車が変わる。それも、レクサスやクラウン。手首にはロレックス。檀家は軽トラやコンパクトカーでつましく暮らしてるのに、瓦を葺き替えるとか、お庫裡を修繕するとか、なにかにつけて寄付を請求してくる。とある檀家では、葬儀の際のお布施を差し出したら、封筒の厚さだけで突っ返したらしい。足りないって意思表示だったそう。坊主憎けりゃなんとやら。私の代で縁切りしてやる。
4、若い頃不良だった跡継ぎが今じゃ住職の寺もある。住職になっても地元の浜でサーフィンするのは良い。でも他所から来たサーファーに「誰の許可とってやってるんだ!」と凄みをきかせているとの噂。坊主頭にサングラスかけていたら別なスジの人に見えると言われている。
こんな人ばかりじゃないだろうけれど悪い噂ほど広まる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cf3d821da8f17da7f29d4380151e016afb562ee5,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]