あまりにも「完璧主義」に振り回されている紀子さま、どうしてこうなったのか。最近の発言がまさにその象徴だ。「私はもう恐れるものはありませんから」だって? いやいや、恐れるべきもの、むしろ無視してるんじゃないのか? その言葉から漂うのは、責任感という名の無限のプレッシャーを全て背負い込んだ感じ。だけど、「周囲を気にしない」という態度が、逆に周りを窮屈にしているのはお分かりだろうか?
何か問題があるとすぐに「それはおかしい」って反応する悠仁さまを見て、いったい何を感じるんだろう。母として、目標達成のために突き進む姿勢は理解できるが、そのアプローチは果たして正解なのか。職員に対しても「どうしてそう思うのですか」と問い詰めるその姿勢。まるで「勝ち負け」の基準で人間関係を測っているかのようだ。
結果的に、紀子さまの独自のルールで動かされる職員たちの心情はどうだろう? 日々ストレスに晒され、終わることのない追求に耐え、唯一の救いは悠仁さまが時折「おかしい」と指摘してくれることだけ。それでも、そんな日々が続くなら、いつか限界が来るのでは?
“恐れるものはない”と言っているうちは、他者の痛みに気づけないかもしれない。
そう、誰かが叫ぶ前に気づかない限り。
ネットからのコメント
1、まだ彼らが次代と決まった訳でもないのにもう女王のように振る舞うのなら問題だと思う。そもそもこの方は娘の婚約相手の出雲超えや金箔を使った50億豪邸の整備など、物質的に王侯貴族としての体裁を整えることばかり頑張っているようですが、もっと内面の高貴さを磨くようにしてほしいと思う。それがノブレスオブリージュということだと思いますが?このままでは国母として国民が納得し認めると期待する要素は仮にあってもほとんどないと思う。外面の華美だけを追求し内面が伴わないなら彼らを候補から外す必要があると考えます。
2、どのような立場にあっても周囲と歩調を合わせお互いが信頼し合ってこそ良い仕事が出来るものです。叱責からは萎縮しか生まれないですよね。職員の方も戦々恐々の日々で気の毒です。
3、宮内庁職員も、一人では太刀打ち出来ないなら、三人くらい束になって、無駄な話し合いの時間をなくすべく報告するようにするとか、工夫すればいいのに。この人が恐いものがあろうがなかろうが、そんな事はどうでもいい、これからの皇室が少しでもよりよいものになるように力を尽くして欲しい。
4、日本の象徴として、辿り着こうとしても到底及ばずものすごいプレッシャーなのでしょう。能力というか品性というか知性というか持って生まれたものは、どう頑張っても…というところでしょうか。もしも皇室に入られずに一般庶民として暮らしていれば、分相応に自由気ままに幸せに生きられたでしょうに。
皇族は頑張ってなるものではなく、神に選ばれた方。現天皇皇后両陛下と愛子さまのように。A家の方々はとてもお辛そうです。紀子様もご自身もムリをなさらず、悠仁様にもムリをさせずに、皇室離脱も含めて、今後の人生を軌道修正され、肩の力を抜いて楽に生きてほしいと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a0c53f91c4f713468c5f03c507a9ce8f76092ade,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]