松尾英明さんの意見、思わず拍手したくなる。だが、疑問は残る。なぜこんなにも無意味な「夏休みのドリルと日記」が日本中で蔓延しているのか。それは、学校が「管理」のために生徒を「縛る」体質に問題があるのだ。「自由な学び」は、もはや幻なのか。
夏休みは、本来ならば子供たちが自分自身を見つめ直し、多様な体験を通して成長する貴重な時間。だが現実はどうだろう。「しおり」という名の説教布告書が家庭に配られ、親までもがその指導に一役買わされる始末。学習のためではなく、単なるルーチンワークと化す。「型にはまらない教育」がどこに行ったのか、不思議でならない。教師もまた、このシステムの犠牲者である。
学校側の「説明責任」のために、「お決まり」を踏襲し続けるのはそろそろやめないか。「自己防衛」が目的の教育は、「本当に大切なこと」を見失わせる危険性を孕んでいる。
私たちが気付くべきは、どれだけの子供たちが「書けない」状況に追い込まれているかという事実だ。貧富や家庭環境の差を無視し、「みんな同じ」を強要することが、本当に教育のあるべき姿なのか。多様性への理解を語るならば、まずはその多様性を受け入れる「場」から始めなければならない。
ここに提案するのは、教育現場の改革ではなく、「価値観」の改革だ。これこそが、未来の教育を豊かにする鍵となる。小手先の変更ではなく、**求めるべきは「本質的な思考の変革」である。**さあ、変えていこうではないか。子供たちの未来のために。
ネットからのコメント
1、自分の学校や自分の担任するクラスで実践してください。現役教員という肩書で、真面目に子どもと向き合っている教員を批判するのは簡単で居心地もいいし、金にもなるかもしれないけど、それに影響された保護者から責められる真面目な教員がかわいそう。素晴らしい実践ならすぐに広まります。
2、背の順をやめて名前順に並んだ事がありますが、背の小さい子は前が見えず、大きい子が気を使ってかがむ、というような事が頻繁に起こり、小学生には合わないので背の順に戻しました。大きい、小さいの優劣感は確かにあるでしょうが、運動ができる、点数が良い、声が大きいなどでも優劣をつけたがる幼さを見過ごさず、多面的に人を見る目を育てる事が大切だと思います。もちろん教師が手本となり、さまざまな良さに気づかせていく中で、成長とともに無くなっていく問題だと思いました。
3、しおりは長期休みに、安全に重きを置いた最低限のルールを載せてあります。夏休みに入る前に子ども達とみんなで読み合わせをします。この日しか見なかった子も内容を頭の隅にでも置いて安全に過ごして元気に再会したいと担任として思います。
それから夏休み前の日はなるべく楽しく過ごすための時間を取ろうとメモを書かさず、休み明けのことをしおりに書きます。保護者にも忙しい時期にしおりまで作ってくれてありがとう、しおりがあって助かると言われると嬉しくなります。子どもの為に作っています。日記はただの日常を書きたい子も一定数います。やりたくない子はやってきません。日記の為に何かをしなければならないと言うことはありません。コロナにかかり2週間寝てばかりだった子は寝てる絵を描き、その時に思ったことを文に書き、実に素晴らしい日記になっていました。教育は1つの視点から語ってはいけないし批判ばかりもいけないと思います。
4、現役教員です。夏休みの宿題はかなり減らしていますし、日記も書かせていません。いろんなお子さんがいますし、不登校気味の子もいるので、宿題できていなくてもいいから元気な姿を見せてねと言って休みに入りました。現場はかなり変わりつつあります。そういう今も発信して欲しいと切に願います。背の順で並ぶのは、朝会などで後ろの子が見やすいようにするためです。いつもいつも背の順ではありませんし、その都度、意味のある並び方をしています。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/c2ab7374a7b88c33ca26bfec23c67493c1d3000d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]