救急車のサイレンに対する苦情についての記事を読んだ瞬間、思わず眉をひそめてしまった。「命の音」すら騒音と感じるこの世の中に、一体どれだけの余裕があるのだろうか? いえ、むしろ私たちは、本当に余裕がないのかもしれない。緊急事態を知らせる音を「迷惑」と表現する心情の裏には、便利さに慣れきった我々の鈍感さが隠れているように思える。
もちろん、夜間の住宅街で響くサイレンがうるさいのは事実だ。しかしそれを過剰に騒音扱いする姿勢は、「自分さえよければいい」利己主義の表れとも言える。そもそも、救急車のサイレンは大切な命を救うための音であり、それを「社会インフラの一部」として受け入れるべきである。
さらに、最近では他国との比較まで持ち出されているようだが、日本の技術力をもってすれば、工夫次第でより効果的なサイレンシステムが実現可能だろう。しかし技術だけでは限界があり、最終的には我々市民一人ひとりの意識改革が必要不可欠である。
苦情の増加という表面だけに注目するのではなく、社会全体での意識の共有、そして**「命を救う音」が持つ重みを再認識することこそが、今求められているのではないか?**
ネットからのコメント
1、救急車のサイレンに苦情を入れるような人ほど、緊急性を要しない怪我や病気で救急車を呼ぶんだろうな。またその時に来るのが遅いとか言っちゃうんでしょうね。交通事故に遭ったときにか乗ったことは無いですが、四六時中対応して下さる救急車には感謝しかありません。
2、まあ、幼稚園の園児達の声がうるさい。と、訳のわからん事を言う人間もいるくらいだから、救急のサイレンがうろさい。と、言う人間がいてもおかしくないか、、変な世の中になってしまった、、園児の声は未来が明るい知らせです。
救急のサイレンは、何時自分がお世話にならないといけなくなるかも知れない、命を繋ぐ音です。
3、元ドクターカーの運転手です。関西の病院に勤務してました。緊急走行で赤信号の交差点に進入する時、マイクで交差点入る旨アナウンスすると後で病院にクレームの電話入る事が有りました。決して上から目線じゃ無く「恐れ入ります、ドクターカー赤信号交差点入ります。ご協力お願いします。」みたいな感じで協力してもらえたら「ご協力有難う御座いました。」まで付け加えていたんですが………クレーム言う方はどうしようも無いんで聞き流してました。
4、救急車両に、騒音クレームを出す人の気持ちを考えるだけで、人間性を疑いたくなります。一分一秒でも…という人の命がかかっている時に、うるさい!と感じる事自体、悲しくなります。もし、自分自身や愛する人、大切な家族が対象になっても、うるさく感じるのだろうか?何んか時代と共に人としての感性や道徳が悪い方向へ変化している事に、日本は大丈夫だろうか?って心配になってきました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6de449f0f71fbe48b9194ee69a301a20f65763e6,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]