私たちの教育現場で何が起きているのか、最近のニュースは実に考えさせられるものがあります。三重の私立高田高校で顧問が生徒に「腐ったミカン」と言い放つなど、ハラスメントと認定された件。**教育の場がサーカスの舞台と化している現状に、ただただ呆れてしまいます。**いくら士気を上げるためとはいえ、言葉の刃が生徒の心を刺すのは許されることではないでしょう。
この顧問、叱責で士気が上がると本気で思っているのでしょうか。**「叱る」ことと「苛立たせる」ことはまったく異なる行為です。**どちらも同じだと思っているのなら、教育者としての自覚を疑います。何よりも教育者が率先して行うべきは、個々の生徒に対する「理解」の姿勢ではありませんか。
また、外部指導員として認められていない人を手伝わせるとは、もう教育現場というよりも、一種の手作りイベントのようです。教育は人を育てる神聖な場であり、一時的な興行ではありません。
最後に、これらの問題が再び起きないためにも、学校としての責任を果たす必要があります。**教師の言動が未来の大人を形成する基本となるこの事実を、もっと重く受け止める時です。**この出来事がきっかけで、教育の本質とは何か、多くの人々が考える機会となればと思います。
ネットからのコメント
1、こういうのが問題になったら、問題発言をしていた教師は相手に反骨心を持って強くなってほしいと思う指導だったとか言うけど人格否定とか尊厳破壊みたいな言葉を浴びせて追い込むのは指導でも教育でもない。
2、部活指導における体罰や暴言を肯定する意見としてよく言われるのが、「社会に出ればもっと理不尽なことがいくらでもある。」という内容。理不尽に耐えられない人間はストレス社会で生きていけないと。では社会に理不尽が蔓延っているのは何故か?おそらくこういう教育を受けてきた人間の「自分たちもそうされてきたから」という思考停止の行動が原因ではないか。少なくとも昭和の時代は、理不尽は正すのではなく耐えてなんぼのような教育が行われてきた。確かに自然災害や事故など人間ではどうにもできない不条理に耐える精神力はある程度必要かもしれないが、人間による理不尽自体がこの世の中に必要のないものに思える。
3、難しい問題ですね。やるならやれ、やらないなら悪影響を及ぼす事から選んだ言葉でしょう。指導者ならある程度の理解は出来ますね。かなりの強豪校でない限り、部活生が全員同じ方向を向いているとは限りませんしね。指導者側も時代に合った成長が必要なんでしょうけど。
4、社会に出てもっと酷い扱いをされた時、どう自分の中で病まずに折り合いをつけてくかを学んでおかないと危ないという現実もあるんだよな、、実際。
こういう人に意地悪する人間は大人子供関係なく大嫌いだけど、必ずいるんよ。どこの世界にも。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/0ae7fd972a017e4b00a7e27e2f3511e86ae8961f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]