タイトル:「平和を語る藤井アナの『安上がり発言』への一言が的確すぎて戦慄」
最近、テレビ番組で藤井アナが神谷宗幣代表に対して「安上がりという表現は使ってほしくなかった」と指摘したシーンを見た。これ、まさに「言っていいこと」と「言ってはいけないこと」の線引きが明確に表れた瞬間だと感じた。藤井アナの言葉、なんというか、まるで神谷代表が時空を超えて放った言葉にブレーキをかけたような一撃だった。
一番の問題は、核武装を「安上がり」なんて軽々しく扱ったこと。確かに選挙戦での過激発言は注目を集めるかもしれないが、平和がどれだけ多くの人の命を支えてきたか、「安上がり」なんて表現でその尊さを踏みにじるようなことを許していいのか? まさか、平和が「コスパ」で測れるものだと勘違いしているわけではないだろう。
神谷代表が「これからは党のガイドラインを決めて」と言っているが、逆に言えば、ガイドラインがなければ、どんな無茶な発言が飛び出すのかもわからない状況に危機感を抱いているのだろう。そのガイドラインで守られたところで、元々の発言の軽さは変わらない。
結局、どれだけ“議論”を重ねても、根本的な部分がずれている限り、平和は守れない。
ネットからのコメント
1、アナウンサーが民意を誘導するようなことを発言するべきではない。80年経った結果、このざまじゃないか。日本が平和でいられたのは米軍の核の傘の下にいたから。綺麗事をいくら並べても平和は守れない。そしてテレビはアナウンサーの私見を述べる所ではない。公人と私人の区別がつかないのなら辞めるべきだ。
2、おじいちゃんおばあちゃん達が平和を作ってきたのではなく、米軍基地があり核の抑止力に守られてきただけ。いつまでも自虐史観に縛られて、平和平和と念仏のように唱えるだけでなくて、どうやったら自分で自分の国を守れるのか、核を持つ事も含めて見直さないといけない。核を持つことがコストとして安あがりというのは間違ってないし、80年前に核を日本が持っていれば絶対に落とされることはなかったのだから抑止力としての効果も大きいのは間違いない。
3、番組側も言葉遊びなんてしてないで言葉の真意を報道スべきですね。しかし参政党も今後はそれなりの議席があるわけですから、ある程度こういった揚げ足が取られる発言には注意をスべきですね。今回のことでよくわかったのがメディアというのは公共ではなく局の考えを報道しているだけで、国民の公益性を立てにしている偽善集団の集まりというのはよくわかりました。
4、経済的なコストとして安上がりって意味合いであって、平和が安上がりでも、被爆への侮辱でもない。核抑止に対して日本人が余りにもアレルギーが強すぎる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cb983f0c05cd019850605b1770f62654c7b0f7e4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]