日々、言葉の変遷を見るたびに、私は思う。**なぜシンプルな「俳優」と「女優」の区別を捨て去ることが、時代の進化として歓迎されるのか。**ほんこん氏がXで発言した件、そして三田村邦彦氏の問いかけには、何か巨大な波が押し寄せてくるような予感を感じる。
言葉は文化であり、その文化を大切にしないと、個々の独自性を失いかねない。二元的な表現を排することが進歩だと考えるなら、それこそ過剰な一般化に過ぎないのではないだろうか。まるで「俳優」と「女優」をひとまとめにしてしまえば、すべてが平等になるかのような幻想が蔓延している。
確かに性別の壁を乗り越えるのは美しい。しかし、だからといって、**言葉の持つ豊かさや繊細さを無視するのは知性の欠如だ。**一言で言えば、「俳優」と「女優」という単語はただのラベルではない。それらには歴史があり、文化があり、そして人々の多様な経験が詰まっている。
結局のところ、**表面的な言葉の選択が私たちの思考の深さを決めるわけではない。言葉を守ることは、文化を守ることなのだ。**言葉の選択はただの符号ではない、アイデンティティの一部だと思う。果たして私たちは、ただ便利さを追求した結果の無味乾燥な世界を望んでいるのだろうか。
ネットからのコメント
1、男優や女優という呼び方を差別的だという意見が尊重されて、俳優と呼ぶようになったでは、差別的だという意見は過剰だという意見は尊重されないの?どちらも一つの意見で、どちらも尊重されなければ不平等でしょ私は言葉狩りのような世の中は息苦しくてキライです私の意見は誰が尊重してくれるのかな?
2、スチュワード(男性)に対してスチュワーデス(女性)何故これが性差別なのか理解できない。スチュワーデスを廃止しておきながら「プリンセス」にはなんの抵抗も感じない人たちの感覚も理解できない。スチュワーデスを廃して客室乗務員に統一するなら、 プリンセスと呼ぶのも辞めて「王室構成員」とすべきだろうに。
3、俳優でも男優女優でもどれでも良いし、そう呼んだからと言って非難されるものでもない男優女優は差別ではなく、区別女優のどこが差別的なのか、全く理解できない差別と言うからには女優は男優より立場が下と言いたいのかな?それこそ無意識な差別で、言葉どうこうに文句をつけるより自分の意識改革が必要だと思うけど
4、自分も女優でいいと思う。慣習化した女性名詞は無理に統一することはない。行き過ぎたジェンダーフリーは、アメリカのトランプ政権や今回の参院選での「日本人ファースト」のように無用な反動を生む危険がある。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/612342119841795aa82b52d6abb685ee18bcf976,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]