古舘伊知郎さんの「おじさん構文」に対する言い分、まさに一石を投じるものでしたよね。彼が言うように、中間管理職の皆さんが日々感じるストレスやプレッシャー、もちろん理解しますよ。ですが、だからって若者に「カナ?」や「ヨ!」で絡むのはどうも成り行きとして理解しづらいんです。話を聞いていると、まるで我慢しているのを取り繕うための言い訳にしか聞こえないんじゃないかって思うんですよ。
古舘さんの意見を知ると、どうしても「それくらい許してくれないカナ?」という言葉に違和感を覚えてしまう。中年男性が求めるのは、実は若者とのコミュニケーションじゃなくて、単なる承認欲求なんじゃないの?こんな構文送るくらいなら、むしろ真摯に話しかける術を考えてみたらどうなんでしょうか。
また、この構文が若者に嫌われているのを理解しているのに、それでも使うっていうその姿勢が、逆に頑固さを感じさせる。若者との距離感を縮めたいなら、まずは敬意を示すところから始めるべきだと思うんです。「おじさん構文」が許されるかどうかの問題ではなく、それが本当にコミュニケーションを深める手段になっているのか?
時代が変わる中、変わらなくてはならないのは自分自身の姿勢である
。それができて初めて、世代を超えた真のコミュニケーションが生まれるんじゃないでしょうか。結局、心の距離を縮めるのは、自分を変える勇気。それはどうしても忘れたくない大事な視点だと思います。
ネットからのコメント
1、オジサン構文はオジサンが使うからオジサン構文になる。若者が使ってもオジサン構文とはあまり言われない。結局いつの時代にもある世代間の違い、ジェネレーションギャップっていうやつですよね。若い世代も年配の方のやる事を古いとバカにするし、年配も若い世代を『今の若いやつらは』と見下すしお互いさま。今の若い世代もオジサンになった時には自分たちの子ども世代からバカにされる運命。時代は繰り返すのです。
2、「・・・何の意味もないと糾弾されていますよね」若者こそ何の意味も無い言葉遣いや立ち振る舞いをしている。ただ、その時代の若者の文化でその年代のコミュニケーションツールとしては理解できる。相手やT.P.O.を考えて使えば良いと思う。どなたかのコメントにあったようにしつこくセクハラまがいの使い方は良くないが、さらっと連絡する程度であればある程度許容することも必要かと思う。
3、中年以上から見れば、学生くらいまでの文章や言葉は「なんでそんな分かりにくい事をわざわざ」と思うものも多々あると思うし、その逆から見ても鬱陶しかったり不快だったりも当然あるでしょう。それを回避しようと全て無くせば、そりゃもう無味乾燥な世界になる。
だから仕事や改まった場でない限り、お互い好きに使えばいいんだよ。嫌なら嫌と伝えるしかない。
4、若者によく思われようと迎合するから腹も立つ。若者の文化は若者の文化。無理に寄せなくてもおじさんはおじさんらしくLINEでもメールでも好きなように書き込めば良い。句点も読点も好きなだけ使って良い。何も殊更絵文字など使う必要もない。おじさんとして堂々と胸を張ろうじゃないですか。気をつけるべきはハラスメントだけです。我々おじさんが若者の文化が理解できないように、若者もおじさんの文化が理解できないのですから。負けずに行きましょう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/4e425ec8692d3b01128b8b1aff4824f1f67ee8a9,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]