「外国人受け入れについて、われわれ日本人はどうすべきか?」という問題に直面するたびに、胸がもやもやとします。このテーマ、日本に限った話ではないですが、"共生"という言葉で片付けるにはあまりに表面的だと思うのです。
江戸川区が外国人との共生を進めるため、多文化共生を進める条例や支援窓口を設けているというのは素晴らしいですが、実際それがどれだけの効果を生んでいるのでしょうか。「共生」とは単なる共存ではなく、お互いの文化を理解し、尊重し合う関係を築くことではないでしょうか?
また、“リトルインディアの父”であるチャンドラニさんの取り組みも、彼一人に頼りすぎている感が否めません。個人の努力に依存するのではなく、もっと組織的かつ持続的な取り組みが求められます。外国人も日本文化を理解する努力をしているという話はよく聞きますが、逆に我々日本人が何をしているのか、自問自答するべき時期に来ているのかもしれません。
結局、共生の取り組みとは、双方が努力を惜しまない態度から生まれるものでしょう。**最も怖いのは、"共生"という言葉に慣れてしまい、真の理解を忘れてしまうことです。**この挑戦、どう受け止めるべきか。
ネットからのコメント
1、マスコミは外国人労働者問題を差別という視点でしか報道せず、彼等が起こしている秩序を壊し、無視する言動にはほとんど触れない。日本人の大半は差別を容認しているのではなく、法律や秩序を守らない人達への厳しい対処、処分を要求しているのだ。私も色々な国に駐在したが日本は性善説で社会の秩序維持してきたので、とにかく甘い。甘すぎる。社会の変化に追従出来ていない。早急に法整備すべきだ。
2、チャンドラニさんはインドコミュニティではすごく有名な方で、この人が仲介に入ったことで相互理解が進み、地域住民との対立もなくなりました。たしかタモリ倶楽部にも出演されてましたよね。ただし、これは非常にレアな成功例。
当時のインドから日本に来れるのは上流階級の知識層だけだったので、カースト的にも上のチャンドラ二さんに言われれば聞かざるを得ません。ルールをきちんと守るようになったのは、そういう側面が強いです。チャンドラニさんが亡くなられた後にどうなるかが問題でしょうね。
3、特に宗教色が強い国の人とは中々折り合うのは難しいでしょうね。宗教上土葬で無いとと言う事で火葬の国の日本で無理矢理土葬の墓地を作ろうとしたり自分達の主張は変えない。土葬したいなら母国へ帰れば良いしお祈りの時間が必要なら母国で働くか同じ宗教の経営者の企業で働けば良い。外国人との共生は必要だと思うが日本が自分達の文化や風習を相手に合わせるのでは無く、日本の文化や風習に合わせられる人達に来て貰うので良いのでは無いだろうか。相手に配慮ばかりしていたら、日本のアイデンティティや文化が破壊される。
4、このあたりに住んでるインド人の同僚がいますが、日本語も英語もペラペラでエンジニアとして非常に優秀です。同じコミュニティに属する方々も同じような方が多いのではないでしょうか?頭脳労働で活躍してくれる外国人は納税でも貢献してくれていますし、肉体労働をして犯罪を犯すような方とは分けて考えるべきです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/6d87b1142b161950d3bbf06d1f9fafa71e439e9e,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]