高度成長期どころか、現代は文化・経済の大反逆が始まっている状態だ。年金ゼロ円の現実に直面する高齢者たちを見て、これがどれだけ社会の宿題の積み重ねであるかと痛感する。無年金時代にどう生き延びるかという問題は、まるで個人の責任のように語られるが、それが全てなのか疑問を抱く。
まず、「年金制度」という不可解なパズルについて問いかけよう。厚生労働省の調査を見れば、一部の高齢者が全く年金を受け取っていないというのは、もはや個人のせいにしきれない部分がある。まるで**「年金のために生まれてきた」**かのような義務感を押しつけられる若者たちも、経済の裏側で見捨てられているのかもしれません。
年金をまともに受け取れない現状で「副収入を得ん、つもりで備えろ」といったアドバイスに正気を保つのは難しい。年金制度がこのまま続くのか、それとも完全に崩壊するのか、決して楽観視できない。それなのに、未来に対する不安を持つ若者すらも無視され続けている。
**「これこそが我々の無計画という名の罰なのでは?」**人生の夢が現実と如何に異なるか理解を深めるとともに、制度改革の声をあげ続けることが求められている。この現状に対して毅然とした態度を取ることが重要だ。
果たして、こんな無慈悲な現実が正常なのか、再評価する時が来ている。
ネットからのコメント
1、今の制度なら、貯金を使い果たせば生活保護が受給できる。貯金があるうちはダメだけど、多少の制限はあるが、おそらく今の生活よりはゆとりができるだろう。年金が強制になったのは1980年代で、78歳のこの方は年金の話は30代の頃から耳に入ることはあったと思う。その時になんとかしていれば今、ここまで困ることはなかったはずで、自業自得だとは思うが、そんな状態であっても今の日本は助けてくれる。罰なんてとんでもない。いい時代に生まれたこと、税金を納める主力である現役世代に感謝して老後を過ごすのだな。
2、昭和36年から昭和61年までは国民年金の任意加入制度がありました。対象者は学生か家庭の主婦(いまで言う第3号被保険者)です。当時の世相、旦那は会社、妻は家庭家事がそうさせたのでしょう。旦那に頼りっきりにならず、将来を考えていた人は任意加入していました。国民皆年金になってもう39年が経過します。知らなかったのではなく、保険料を納めたくなかったのではと勘ぐってしまいます。「何かの罰が当たったのでしょうか」なんてなにを勝っ手な事を言っているのでしょうか。家庭の事情で就業機会がなかったのなら、国民年金に強制加入でしょう。収入がないのなら免除申請すれば良かったのに。全く広報をしていなかったはずもなく、今になって「知らなかった」ではすみませんよ。
弱者・弱者と持ち上げるけど、そんな事をしていたらいくら財源があっても足りませんよ。自己努力も必要かと思います。
3、罰も何も、支払わなかったのならば当然ではないでしょうか?きちんと支払ったにもかかわらず、なんやかんやと理由をつけられて、徴収されていく方が理不尽。特に厚生年金は、自分が支払った同額を会社が納めていたはずなのに、どこに消えたのかと思ってしまう。遺族年金とか、働かなかった人達とかに流れていくのは納得がいかない。働き詰めで支払った人達がファーストであるべきなのに、寄 生されても。
4、生活保護の半数は、65歳以上の高齢者ですから、そういった人達でしょうね。そのしわ寄せを若者に被せるのは違うと思いますよね。それこそ、日本人ファーストで外国人が優遇されてる部分を削ったり、海外支援金を回したり、政治家の給料を半分にしたり、余計な天下り先の法人を無くしたり、やれる事は山ほどあると思いますよ。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/9ad5d68dad82a08ab425c7583fbad3e0d84b3713,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]