デジタル時代の中で、「言論空間がおかしい」との警鐘が鳴らされるのは、今更な感じだ。情報の洪水の中で、SNSや報道機関が流行に乗り遅れまいとするスピード感を持っているが、その代償に真実が割り引かれてしまう状況は、まるで蓋をした沼のようである。「アテンションエコノミー」が主役を張り、情報の正確さよりも刺激性が持て囃される様子は、詩から詩情が失われ、感情剥き出しのスローガンだけで人々が動員されるようなものだ。
多くの企業やメディアが信頼を失っているとの指摘は、耳にタコができるほど聞いたが、その背景には、私たち自身がどこかで確たるものを求め続けていないという現実も潜んでいる。私たちの視線が、ただ鮮明に映像として流し見られているだけで終わっていないか、考えなければならない。興味が引かれる刺激的な情報だけを求めるこの状況では、事実だけを求める姿勢では勝てないという現実に、どこか哀愁すら感じる。
そして、プラットフォーマー側の自己改革への取り組みも進行中だが、AIがコメントを華やかに修正しようとするその力が、現実の社会にも適用できたら良いのにな、と思うこともある。何が正しいのかは、私たち一人一人の手に余るのが、SNSというアリの巣のような巨大な共同体。
情報の真実を光のように示すことができるのは、けっしてAIではなく、疑うことを恐れない人間の知性である。
ネットからのコメント
1、メディアによる偏向報道が昔は大衆に気が付かれなかったが、SNSで皆に周知されるようになってきた。自分たちの都合の良い情報だけ流れなくなっただけで、従来からメディアの偏向報道は変わらないが、SNSで明らかになりつつ、SNSでも一定程度嘘が伝わっている。SNSの警鐘ばかりしているが、昔から変わらなくて、自分たちの都合の悪い情報が流通するから騒ぎ立てるメディアは如何なものかと思います。
2、一番の原因は自分達メディアが都合の悪い報道はしない、自分たちの思想をおしつけるような報道をしてることで信頼がないのでは?先日スポーツジムで初老の方々が「もうテレビの言うこと鵜呑みにしたらいかんもんね」と言ってて、もう高齢者すらもそういう認識なんだなと思いました。フェンタニルが名古屋拠点だった事件だって、他国なら国を挙げての大問題になることなのに、少し報道して終わり。番組側の意図なのか視聴率を求めた結果なのか、国民にとって信頼に足るものではない、メディアの在り方を見直す時期では?
3、「正しい言論空間」とはどのようなもので、いつの時代と社会に成立していたのかを提示してからですかね。古代ギリシャの哲人や中国の諸子百家がSNSを活用したら、現在と同じことになるでしょうね。経済団体もマスコミも、自分達だけに知的威信があり、正しいものを決め啓発していくという思い上りは止めた方がいいです。
メディア不信はメディアと同等の知的レベルの人間が社会に溢れだした結果です。大学進学率が10%にも満たない時代ではありません。昔は「そういうものなんだね」と素直に聞いていましたが、現在は大衆がメディアの情報を検証するに留まらず、自ら発信までできる時代です。資金力や機動力を活かして客観的事実を獲得して記事化する以上の情報加工や解釈は不要です。
4、事実を淡々と報道するメディアなんてありますか?その事実は無かったことにする、無視する、報道しない自由を行使しているのは大手メディアです。内容を取捨選択しているのだから、公正公平な報道なんて今更ですが、不可能。昔からファクトチェックせずに結論ありきな内容を垂れ流してきておきながら、何という厚顔無恥なのでしょうか。もちろんファクトチェックは必要ですが、SNSは主体的に受け手が取捨選択できることは大切です。慌ててメディアを使ってファクトチェックしようとしても最早信頼されていないのだから誰も相手にしないだろうと思います。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a769d4fd1f2019ca6c2dbb37016f1e675c80a0e1,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]